2018Oct9 続編として「向田邦子との二十年 久世光彦(著)」から Rev.2 

  • 2018.10.09 Tuesday
  • 01:59


こんにちは
 

ちょっと早いですが、いいね、万太郎!

 

 

 

 

ゆく年やしめきりてきく風の音

 

   久保田万太郎

 

 

 

 

 

さて、さっそくですが   前回   に書き残してしまったと(つまりは忘れ物をしました!)思っているところがありましたので、ここに加筆させてもらいます。ところで季節はすっかり秋の様相を呈してまいりましたが、体調を崩さないようにご自愛のほど。

 

 

 

          

 

 

 

… 今回は「遅刻」のところです。あとにも書きましたが、『向田邦子は太宰治をあまり認めてはいなかった』と、久世光彦は書いています。それでも「走れメロス」これだけは好きであったとか。よかった!ちょっと安心しました。・・・ こんな感じで誠に勝手ではありますが折に触れて本編のもくじを辿りながら・・・ 随時、書き足していこうと思っています。いつ終了となるかどうか? これから先まで、しばらくお付き合いください。

 

 

こちらが「 向田邦子との二十年 」のもくじです、

 

 触れもせで

 遅刻 

 財布の紐

 漱石 

 名前の匂い 

 爪  

 昔の大将 

 春が来た

 私立向田図書館

 ゆうべの残り

 おしゃれ泥棒

 三蹟

 触れもせで

 青空、ひとりきり

 弟子

 雁の別れ

 アンチョコ

 ミス・メモリー
 小説が怖い
 上手い
 恭々(うやうや)しき娼婦  
   ラストシーン
 お母さんの八艘飛び
 三変わり観音
 死後の恋

 向田邦子熱 ─── あとがきに代えて

 夢あたたかき
 待ち合わせ
 縞馬の話

 ひろめ屋お邦

 昨日のつづき

 転校生

 姉らしき色(1)

 姉らしき色(2)

 イエとウチ

 間取り

 夢あたたかき

 帽子

 友あり

 叱られて

 向田邦子ファン

 祭りのあとの

 女正月

 いつか見た青い空

 さらば向田邦子

 

 座談会 忘れえぬ人

     加藤治子・小林亜星・久世光彦

 

 あとがき 

 

 

 



遅刻より 遅れる人がいれば、待つ人が居る。私は損な役回りで、いつも向田さんを待ってばかりいたような気がするが、それなら待たせる方がいい役かというと、そんなものでもない。このごろは中学の教科書にも載っているらしいが、昔読んだ太宰治の『走れメロス』という話しがこの年齢(とし)になっても忘れられないのは、待っている幸せを、あれこれ飾り立てないでまっすぐに教えてくれたからだと思う。向田さんという人は、あまり太宰を認める方ではなかったが、この小説だけは好きだと言っていた。

 

 ついでに「太宰って、男の人を酔わせる名人ね」とも言っていた。この言葉には、少年時代に太宰病に罹って、いつまでも治りきらない私たちに対する皮肉が半分と、そんな病気を嬉しそうに抱えている男たちへの羨望が半分、入り混じっているようだった。向田さんが言うには、好きとは言えても、こういう小説は女には書けないそうである。信頼という字を書こうとして、そこでどうしても手が止まってしまい、待つという言葉が男の人みたいにきれいに発音できないというのである。そんな話をする向田さんは、いつもみたいに元気ではなかった。原稿用紙に意味のないいたずら書きをしながら、何だか気が重そうだった。この人は、信頼できない誰かを待っているのだろうか。私は、そのときふと思った。… … …

 

 あの人が待っていたのは、いったい何だったのか。そんなことがわかれば人生なんて易しいのかもしれない。それがよくわからないから、人はいつだって不安なのだ。おなじ太宰の小品に『待つ』(こちらに全文がありますという話しがある。『女生徒』とか『葉桜と魔笛』などとおなじように女の一人称告白体の短編だが、日暮れどきになると毎日きまって駅前のベンチに腰掛けて何かを待っている女の話である。この女はだいたい何を、あるいは誰を待っているのか自分でもわからない。ぼんやり人の行き来を眺めて帰るだけなのだ。何だか訳のわからない不安に追いかけられるようにして毎日駅まできてしまう。待っているのはお友達でもない旦那さまでも恋人でもない。もっと和やかで明るい何か、たとえば春、青空、五月、近いけれど、どれもちょっと違う。《・・・ああ、けれども私は待っているのです。胸を躍らせて待っているのだ。眼の前を、ぞろぞろ人が通って行く。あれでもない、これでもない。私は買い物籠をかかえて、こまかく震えながら一心に一心に待っているのだ。・・・》。

 

 そのベンチの女の顔に、向田さんがダブって見える。この小説を読むたびにそう思う。快活でいつも歯切れのよかった向田さんに不似合いな役のようで、よくよく見るとそっくりなのである。あの人が生きていたときには、そんなこと考えたこともなかった。いなくなってはじめて、こんなふうに思い当たるということがあるものだ。あの人は、自分であまり好きではないと言っていた太宰の女主人公たちと、実はかなり近い親戚だったのかもしれない。… … … 次回は、漱石からの予定です。

 

 

 

 

 

(2018 Oct. 19 19:55 Rev.2)

 

こんにちは 

二度目のカキコですが、前回は「太宰って、男の人を酔わせる名人ね」なんてさり気なく、言い切る向田邦子に感心してしまいました(偉そうにすみません!)。やっぱり作家のひと言は違うねぇ〜 !!! 

 

 

さて、きょうの久保田万太郎はこちら、

 

 

 秋風や水に落ちたる空のいろ

 

 

… あぁ 〜 しびれるぅ〜 !!!

久保田万太郎句集・こでまり抄・成瀬櫻桃子編(ふらんす堂)より

  

 

 

 

         

 

 

                    久保田万太郎句集・こでまり抄・成瀬櫻桃子編(ふらんす堂)

 

       発行 1991年9月20日

       著者 久保田万太郎 ©Mantaro Kubota

       発行所 ふらんす堂

       句集 こでまり抄

 

 

     久保田万太郎(1889 - 1963)

     東京浅草生れ。小説家・劇作家・俳人。

     生家は祖父の代から袋物製造業であった。東京府立三中在学中から

     文学書に親しみ句会に出る。同校中退後、慶應義塾普通部を経て、

     同大学部文科に進む。文科一年のときに書いた小説「朝顔」が永井荷風

     に認められ新進作家として文壇に登場した。俳句は中学時代、大場白水郎

     らと秋磬会系統の句会を廻って覚え、大学時代、三田俳句会で 山 月・

     岡本癖三醉・上川井梨葉らの知遇を得、その後、松根東洋城のもとで厳し

     い研鑽を経た。小説家・劇作家として多忙になり、一時中断した時を除き、

     死の日まで句作を続けた。昭和38年5月6日、食餌誤嚥により窒息して死去。

     享年74歳。俳号は、当初暮雨、一時傘雨と称したが、のち万太郎の本名を

     用いた。

      「俳句は余技」と称していたにも拘わらず、その洗練された句風は他の追随

     を許さぬものであった。昭和21年安住敦の擁立により俳誌「春燈」主宰とな

     って以後、一層作句熱が高まり珠玉の作を遺した。「即興的な抒情詩、家常

     生活に根ざした抒情的な即興詩」「心境小説の素」というのが俳句に対する

     信条であった。昭和22年、芸術院会員就任、昭和32年、文化勲章を受けた。

     [著者]句集『道芝』(昭2)『ももちどり』(昭9)『わかれじも』(昭10)

     『ゆきげがは』(昭11)『久保田万太郎句集』(昭17)『これやこの』(昭11)

     『春燈抄』(昭22)『冬三日月』(昭27)『草の丈』(同)『流寓抄』(昭33)

     『流寓抄以後』(昭38)がある。(本句集より)

 

 

 

                 成瀬櫻桃子・なるせおうとうし(1925 〜 2004)

       俳人。「春燈」主宰。中学一年より俳句を始め万太郎に師事。万太郎の「春燈」

       創刊とともに参加。万太郎没後、安住敦に師事、敦没後「春燈」を主宰する。

       俳人協会理事。日本ペンクラブ評議員。日本文芸家協会会員

       〔著書〕句集に『風色』(第13回俳人協会賞受賞)『素心』『自註・成瀬櫻桃子集』

         著書に『古寺散策』『現代俳人』(共著)『我が愛する俳人』(共著)等がある。

    (本句集より)    

 

 

 

 

 今回は 漱石 から、いまの読者は漱石を読むときに、国語辞典を傍らに置くという話がある。言ってみれば、『枕草子』や『伊勢物語』とおなじ読み方ということである。とするなら鏡花もそうだろうし、鴎外だって辞書なしには読めまい。つまり向田さんや私たちの世代が、あのころ父親の本棚からこっそり取り出しては読み耽った『明治大正文学全集』に収められていた小説たちは、いつの間にか古典になってしまっているのだ。しかし、一千年昔の平安と、たった五十年前の『明治大正文学全集』とがおなじ古典というのは、やはり納得できない不思議としか言いようがない。当今のように世の中がめまぐるしく変わって行くと、過去は車窓に流れる風景のようにどんどん遠くへ離れてしまうのもわかると言えばわかるのだが、ときには途中下車して静止した風景を眺めたりもしないと、少なくとも〈文化〉という点ではおかしなことになってしまう。ただ駆け足で生き急ぎ、死に急ぎ、ようやく末期の眼で静止した風景に行きあたってみたら、それは荒涼とした白い枯野だったというのでは情けない。

 

 などと、年寄りじみたことを考えているうちに、たとえば漱石のどんなところに国語辞典が必要なのか、気になりはじめて、任意にページを開いてみることにする。まず『三四郎』の冒頭に〈頓狂〉というのが出てくる。〈発車間際に頓狂な声を出して、駈込んで来て・・・〉という件りである。そう言えばこのごろ、日常会話で聞かなくなった言葉である。〈素っ頓狂〉ならまだわかるかもしれないが、〈頓狂〉のままでは、だしぬけに調子はずれの言動をする、という意味は伝わりにくい。次に『草枕』。私は書き出しの〈智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい〉というところまでは空で言えたが、向田さんは更にその先の〈住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。・・・〉から〈人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。・・・〉あたりまで覚えていたのでびっくりしたことがある。

 

 けれど、私たちぐらいの世代で漱石を暗記しているのは別に珍しいことでも何でもなかった。若かったからだとは思うが、好きな文句を暗記することはちっとも苦にならなかったものである。その『草枕』の第五章、床屋のシーンに〈道理で〉〈癇性〉〈名代な〉〈罵詈される〉〈得心ずくで〉〈御新造〉と立て続けに出てくる。最初の〈道理で〉が分からない人はまさかいないだろうが、ふと考えてみると今日一日、起きてから寝るまでの間に耳にした覚えはない。日用語でないことだけは確かである。

 

 これらを少し分類してみると、死語と半死語にわけることができそうだ。死語に属するのが〈名代な〉〈罵詈される〉〈御新造〉で、半死語が〈頓狂〉〈道理で〉〈癇〉〈得心ずくで〉である。死んでしまったものは仕方がないが、まだ息のあるものは何とか生き永らえさせられないものだろうか、向田さんはよくそう言っていた。だからエッセイや小説の中で、明らかに意図的にそのたぐいの言葉を使っていた。何も古い言い回しが懐かしかったからではない。その言葉にしかない味や香りやニュアンスが死んで行くのが残念でならなかったのである。ちょっと妙な言い方だが、向田さんは日本語が好きだった。考えようによっては面倒なことではあるが、一つことを幾通りにでも表現したり、持って回って言ったりする日本の言葉を、とても大切に思っていた。だから、まだ有名になる前の彼女の随筆を読んだ人が、明治生まれの老女を想像していたという話も、笑ってしまうが、もっともだとも思う。例の『草枕』の〈得心ずくで〉などは何度も使っていたような気がする。

 

 いちいち出展は挙げないが、向田さんの書いたものをパラパラめくっていると、漱石ほどではないにしても、半死語が次々に現れる。〈到来物〉〈冥利が悪い〉〈悋気りんき〉〈按配〉〈目論見〉。まだある。〈気落ちする〉〈持ち重りのする〉〈了見〉〈昵懇じっこん〉・・・ どれも他の言葉に置き換えにくい、暖かい人の体温のようなものを感じさせる言葉ばかりである。ちっとも古くはないし、わかりにくくもない。日本語の優しさと暖かさが、春の水のようにゆったりと伝わって来る。どうか国語辞典を引いて、そのぬくもりを感じ取って欲しい。… … … 次回は、名前の匂いからの予定です。

 

 

 

ではでは。

 

 

 

今日も最後までお付合いくださいまして、ありがとうございました。

どうか、自分だけの秋とめぐり会えますように!

 

 

 

 


 

 

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