(2018Sep21)はやぶさ2 リュウグウまで55メートルの最接近!

  • 2018.09.22 Saturday
  • 10:08

 

こんにちは

 

がんばれ! はやぶさ2!

 

リュウグウまでなんと55メートルという  最接近(デジタル毎日新聞) です!

このクッキリと映ってる影に感動しています。

 

 

 

  

 

 

高度約80メートル  デジタル毎日新聞

 

 

 がんばれ! はやぶさ2!

 

 

 

 

 

 

 

2018Sep21【 今日の一冊 】向田邦子との二十年 久世光彦(著)

  • 2018.09.21 Friday
  • 14:12

 

こんにちは

 

 さっそくですが、先日、amz. より購入した本書にすっかり取りつかれてしまって、身動きができないでいます。実はこちら、その昔、広島を離れるときに処分してしまった一冊でした … 当時、著者である久世光彦にはそれがし陰ながらヤキモチを焼いていたふしがありまして? それから早や8年後のある日に amz. から届いた誘惑(勧誘?)メールに屈してしまい(笑)!  今、こうして再会しましたが … その結果、やっぱり、やっぱりいいなぁ!とその感慨に耽っているところですが、ふとここに紹介したくなりました。ちょっとお付き合いください … とその前にこちらの一句を! 

 

 本書の 319 p. にありましたが、いいねぇ〜 万太郎! … それがし、幾度か身に覚えがありまする!… こうして秋は小さな足音をたてながら深まっていきます でもちょっとイチャモンを、わすれてならぬとくると仇討ちとかみたいで?なにやら不穏当な雰囲気を感じて、それがしみたいな小心者は反射的にどこか身構えてしまいます。そこで、それがしだったら、優しくこういきたいですね、『 秋風やわすれてはいけない名を忘れ 』いかがでありましょうか? はぃ、万太郎さま! 失礼しました!… おあとがよろしいようで。  

 

 

 

  秋風やわすれてならぬ名を忘れ    久保田万太郎

 

 

 

 

 

 

【 今日の一冊 】

 

  向田邦子との二十年

   久世光彦

 

 

 

 

 

 

 2009年四月    十   日 第一刷発行

 2017年五月二十五日 第七刷発行

 著    者 久世光彦(くぜ・てるひこ)

 発行所 株式会社筑摩書房

 

 

 

 

 

 こちらが興味津々の目次です、

 

 触れもせで

 遅刻 

 財布の紐

 漱石 

 名前の匂い 

 爪  

 昔の大将 

 春が来た

 私立向田図書館

 ゆうべの残り

 おしゃれ泥棒

 三蹟

 触れもせで

 青空、ひとりきり

 弟子

 雁の別れ

 アンチョコ

 ミス・メモリー
 小説が怖い
 上手い
 恭々(うやうや)し
き娼婦  
   ラストシーン
 お母さんの八艘飛び
 三変わり観音
 死後の恋

 向田邦子熱 ─── あとがきに代えて

 夢あたたかき
 待ち合わせ
 縞馬の話

 ひろめ屋お邦

 昨日のつづき

 転校生

 姉らしき色(1)

 姉らしき色(2)

 イエとウチ

 間取り

 夢あたたかき

 帽子

 友あり

 叱られて

 向田邦子ファン

 祭りのあとの

 女正月

 いつか見た青い空

 さらば向田邦子

 

 座談会 忘れえぬ人

     加藤治子・小林亜星・久世光彦

 

 あとがき 

 

   *

 

 向田邦子年譜

 

 解説 いくつもの顔を持つ人 荒井 信

 

 

 

久世光彦(くぜてるひこ)

(1935 - 2006)東京生まれ。東京大学文学部美学科卒業。演出家、プロデューサーとして「寺内貫太郎一家」、「時間ですよ」などテレビ史に残る数多くのドラマを制作した。92年「女正月」他の演出により芸術選奨文部大臣賞を受賞。作家活動としては94年「一九三四年冬─乱歩」で山本周五郎賞、97年「聖なる春」で芸術選奨文学部門文部大臣賞、98年紫綬褒章など数々の賞を受賞。他に「美の死」「むかし卓袱台があったころ」「へのへの夢二」「百寮萓厳遒鯑Г燹廚覆病真堯碧椽颯バー書きより)。

 

 

 

 

p.s.,

しかし、安倍くん、性格悪いねぇ〜!

そこまでヤルかね ??!!

でぇ─、嫌れぇだぁ〜 !!!

 

お〜ぃ、エンリケ航海王子 !!!

 

 

・・・失礼しました!

 

以上です。

 

 

 

ではでは。

 

今日も最後までお付合いくださいまして、ありがとうございました。

冬将軍よ、この夏は尋常でなかったのでどうぞお手柔らかにお願いします!

車の運転は安全第一でお願いします。

 

 

 

速 報! 村上RADIO 第2回放送決定 !!! 〜 秋の夜長は村上RADIOで!

  • 2018.09.03 Monday
  • 14:57

 

こんにちは

 

先ほど、新潮社より以下のメールが届きました。

なんでも、村上春樹が 「 村上R a d i o 」 再登場! とか。

 

10月21日 (日) 19:00 〜 19:55

TOKYO FM / JFN38局ネット

 

 

 

以下、当該メールを貼りましたので・・・

 

 

 



 

今年の夏、村上さんの初DJ番組は、選曲もトークも大きな話題になりました。
「また聴きたい」というリスナーの熱い声を受けて、秋の夜に村上RADIO第2弾の放送が発表されました。
もちろん選曲は村上さん。さらに、今回もみなさんの新たな質問に答えます。
前回、ドナルド・フェイゲン「MADISON TIME」の前テーマに続き、
ブライアン・ウィルソンのディズニー・ソングで始まった村上DJでしたが、果たして今回はどんな曲から始まるのか……!
 

村上さんからの夏の贈り物、8月5日の「村上RADIOレディオ」(TOKYO FMはじめJFN38局ネット)はお聴きになりましたか? 紹介された曲もユーモアあふれるトークも、最高に楽しい音楽ワンダーランドでした。聴き逃してもインターネット・ラジオのタイムフリーを利用したり、かかった曲を聴き直したり、村上さんの音楽本を買ってくださったり、村上さんの小説と音楽に注目してくださったみなさん、ありがとうございました。リスナーからは、SNSやサイトを通じてたくさんの感想が寄せられました。

7月29日放送のプレ特番では、坂本美雨さんと山本周五郎賞作家の小川哲さん(二人は村上作品の大ファンです)が司会を務め、SEKAI NO OWARIのSaori(藤崎沙織さん)、スガシカオさん、小澤征悦さんがコメントを寄せてくださり、愛読する小説や村上DJが選びそうな曲を語りました。

そして当日。
ラジオを囲んで車座になってみんなで聴いたというリスナーもいたそうですが、村上さんの選んだ9曲(ビーチ・ボーイズやアレサ・フランクリンなどの短い挿入曲もありましたね)はどれも楽しく、あっと言う間の55分間でした。
また「聴きたい!」という声も多いなか、10月21日午後7時から、「村上RADIO」の2回目の放送が決まりました! そして、さらに3回目もあるそう。
秋の夜長に、オリジナルな選曲とそれぞれの音楽をめぐる物語が、村上さん自身の声で語られます。

この日も、リスナー&読者からの新しい質問に答えていきます。
TOKYO FMの番組HPで、9月9日(日)23時59分まで、「質問」を募集しています。
内容は、「村上さん、素朴な質問なんですが……」という前置きで始まる愉快な質問をぜひ!
スタジオで村上さんがどんな回答をするか、今から楽しみですね。


 

秋といえば、長編小説『騎士団長殺し』で、小説の中で最初に流れるのは、プジョー295 205のカーオーディオから流れるシェリル・クロウの曲、そしてメンデルスゾーンの八重奏曲でした。季節は移り、ある秋の夜に主人公はシューベルトの弦楽四重奏曲のレコードを聴きます。そして……。
村上さんの小説では、言葉と音楽が分かちがたく結びつき、深く響き合い、主人公を導き、見守り、温かく包み込みます。

さてさて、今回の「村上RADIO」のプレイリストはどうなるか、みなさんと待ちたいと思います。(『村上さんのところ』チーム縁の下)

 







 
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二度あることは三度ある ??!!

… あとニ三年は続けてもらって質問と一緒にリクエストを受けてくださーぃ !!! 

 

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

2018年9月1日(土)9月には帰らない 〜 今日から長月です

  • 2018.09.01 Saturday
  • 00:00

 

こんにちは

 

9月には帰らない … こちら「紅雀」六年ぶり、二度目の登場です。

やっぱりこの時期、秋がやって来ると、このアルバムを思い出します … 元気でいるだろうか?

 

 

   9月には帰らない

 

  9月には 帰らない

  ただひとり 残っても

  明日あたり 燈台へ

  波しぶき見に行こう 

 

   未来が霧に閉ざされていた頃は

   この潮騒が重すぎて 泣いた

 

  今はもう負けないわ

  9月には帰らない

 

   無口な人は夏の日のはかなさを

   うまく言えずにバスの窓おろす

 

  今はもう負けないわ

  9月には帰らない

  9月には帰らない

 

 

 

          

 

          

 

 

 

 

 

 

 いつまでも暑い日が続いていますが、お元気ですか?

しかし、今年は台風がたくさん来ますね!どこへ上陸しようがどうか直撃だけは勘弁して欲しいと念じていますが、今回の21号は如何に!

くわばらくわばら!(古いねぇ〜、いまや完全に死語?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

壁のカレンダーには、二百十日 白露 敬老の日 動物愛護週間9/20〜26 彼岸 

秋分の日 などの文字が記されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

                                           【今月の有元利夫です】

 

 

 

 

 

 

     

 

 

                    

 

                                       野の花 53.0 ×  40.9cm   1982年

 

 

 

 

 

 

 

                           秋風や人なき道の草の丈

 

                             芥川竜之介

   

                      (芥川竜之介俳句集・加藤郁乎編・岩波文庫より)

 

 

 

 

ではでは。

 

ここ、しばらくは熱中症に気をつけてください!

そして車は安全運転でお願いします。

 

 

 

 

p.s.,

i 最近ですが、毎日、エアロバイクで8キロほど(20分間)走っています。スゴイでしょ ??!! (オィ、大丈夫か?)おかげさまで、その後、脚はつることもなくいたって元気であります。

 

ii   前回お知らせした、望月衣塑子氏  講演会ですが未だに脱稿できずにカキコ中です。それがし、もう疲れてきました?正直、ギブアップ寸前であります … 言い訳ですが、もうこの方の早口についていけません!三割引き(落し)のスロー再生にも関わらず、講話の10分間をカキコするのに二時間近く掛かってしまうありさまです。この行きつ戻りつの繰り返しにほとほと・・・息も絶え絶え? そこで今回は「上巻」と称してアップします(早い話しが半分ちゃぶ台返し?)。誠に中途半端でお恥ずかしい次第でありますが、望月氏の熱意と会場の雰囲気くらいは感じてもらえる!と勝手に判断しました。お時間のある方は、ちょっと寄り道してください! はぃ?「下巻」はいつ頃だ?・・・ がんばります! 追って、追ってこの場に … 。

 

 

今日も最後までお付合いくださいまして、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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(2018July21 上巻)急 告! わらび市にて望月衣塑子氏の講演会がありました

  • 2018.09.01 Saturday
  • 00:00

 

こんにちは

 

 先日、猛暑のなか命からがらに?わらび市まで出掛けました … わらび市を訪ねたのは今回が初めてです。そしてこの日は 望月衣塑子氏 の講演会がありました。あの菅の天敵と呼ばれている望月氏を応援したくなり、出掛けた次第です。 今ごろにすみませんね、今回はちょっと長い話しになりましたが興味のある方はお付き合いください。

 

 

         

    

 

         望月衣塑子さん プロフィール

       新聞記者。東京地検特捜部などで事件中心に取材。

       社会部で武器輸出、軍学共同など、取材。

       著作・・「世界」6月号「国策化する武器輸出」、

        「武器輸出と日本企業」(角川新書)、

        「武器輸出大国ニッポンでいいのか」(あけび書房)

 

     主催)報道の現場から〜講演会実行委員会・わらび9条の会

     後援・ 蕨 市  蕨市教育委員会


 

 望月氏は日ごろから 「 政治や権力に一石を投じたい 」 と熱く語っています。戦後70年を遥かに過ぎたこんにち、いつも偉そうに古式豊かな(閉鎖的)菅の記者会見はハッキリ言って身勝手で醜い!とそれがしには映ります。そして余りにも静かでモノを言わぬ日本の新聞記者たち!反論とかないの?あとひと言がなぜ言えない!なんで黙ってるんだ!それでもジャーナリストかってそれがし中学生のころからいつも思い感じていました(ほんとです)。それらをふくめてもっと現実的で前向きな会見にして欲しいと … あのような会見をいつまでも繰り返して、早晩、世界の笑い者にならないようにと願っていますが、… もう手遅れかも知れんね! そんな思いで日々カリカリしながら、ちょっと悶々としているときに現れたのが、この方、 望月衣塑子氏でありました。

 

 結論を先に・・・ この望月氏、すごい方でありました!この日、講演が始まって直ぐに、それまでの望月氏のイメージが(決してたくさんもっていたとは言えないまでも)、そのすべてが吹き飛んでしまいました!この日、行動を共にしていたコオロギさんと一緒に驚きと共に呆気にとられてしまった。もの凄い早口で話しながら身振り手振りをまじえて全身で語りかけるというよりも、訴えかける!ぶつけてくる! … 望月氏は講演が終わるまで約3時間ず〜っと立ちっぱなしでした。用意されていた椅子は隅っこに片されたままでした。もうその躰からあふれ出るバイタリティーでいっぱいでした … ちょっと的外れかも知れないけれど?それはまるで(それがしにとっては)往年の大スター!京唄子のようでありました(早口だけど話が的確でおもしろい!とにかく聞いていて楽しい)繰り返しますが早口で機関銃のように撃ちまくる!いや、話しまくる!その度に会場から大爆笑が起こる!・・ まぁ、イメージというか雰囲気優先で言わせていただくと、あの 女流講談師の神田陽子 の世界を彷彿とさせるひとときでありました。ほんと凄い迫力だった。望月氏はきっとのこと、浪曲、講談とか狂言、これらをこよなく愛されているのでは? こんど訊いてみようと思いましたが、それにしても望月氏の話は久しぶりにこころを揺さぶられた、いい話しでありました。特におでん屋での父のひと言 『… や っ ぱ り 読 売 新 聞 だ け は 止 め て 欲 し い !』… でひとしきり大笑いしたあと、次の瞬間、それがしはフリーズに陥りました!しかしながら話しの内容は至ってシリアスでリアリティに溢れたしっかりとしたものでした。

 

 講演の冒頭から、話しはいきなりのクライマックス?でありました。夜の11時過ぎにある特捜部の幹部から携帯にピロピロ、ピロ〜ンと … 「 お 〜 ぃ 、モ チ ヅ キ(メチャ、大きなしゃがれ声というかダミ声が場内に響き渡ります … それは決してオーバーでもお世辞でもなく、少々鬼気迫る感じで嫌味のない芝居っ気たっぷり感で)、い ま ど こ で な に し て る ん か ぁ? い ま 銀 座 で み ん な で 飲 ん ど る か ら 、出 て く る か ぁ 〜・・・ 」と呼び出しが掛かる! ここで望月氏、この日、唯一、こ の と き だ け は ゆ っ く り で し た !  いち語、いち語、しっかりとアクセントをつけてこう続けました!「 は い ! い ま 直 ぐ ! い ま 直 ぐ 行 か せ て い た だ き ま す !」と、その声色はまさに迫真の演技!でありました … それはまるで「このあたりのものでござる」と、いつもこの台詞で始まる「狂言」(野村万作とかの)のようでありました … 会場はやんややんやの拍手と一緒に爆笑の渦でありました … とても講演会とは思えないほどの賑わい方?でした。隣のコオロギさんは「笑点みたいだ!」とつぶやいていましたが。

 

 

 

みなさんにお願いがあります!

 

 望月衣塑子さんに対しては、いろいろとご意見はありましょう!

そこでありのままの望月衣塑子さんを知ってほしく、この日の講演(正味2時間40分)を限りなく誤解のないように、そして正確に一言一句、すべてそのままでお伝えしようと決心しました。とは言ってもせめて望月氏、ご本人に対して事前にひと言だけでも「 お断りの挨拶を 」しておきたかったのですが、連絡の手だてがみつかりませんでした … この場をお借りして誠に勝手ながら見切り発車しますこと、ご容赦のほど! よろしくお願いします。… いま、ここにカキコ終了しました。もう執念のカキコと言ったらオーバーですかね?とにかくこの幾日か、一応、がんばって書き込みましたので、興味のある方はお付き合いください!……… また、この日の講演は冒頭の案内チラシにある通り、主催が「 報道の現場から〜講演実行委員会・わらび9条の会 」となっていました。そして、後援が 「 蕨市 蕨市教育委員会 」でありました。… ここで念のためにお断りしておきますが、それがしは、そしてコオロギさんも、ここにある、わらび9条の会、そして蕨市教育委員会とはなんらの関係もありません!ので、どうか誤解されませんようにお願いします。

 

 この日、定刻を5分ほど過ぎてから講演はスタートしました。最初に地元のわらび9条の会、会長の〇〇さんからの挨拶で始まりましたが … 直ぐにご本人の口から長い挨拶はいけませんね、と自重されて挨拶は2分ほどで終了しました!… やれやれ  ⇨ こちらも前置きは止めて早速いきましょう! 

 

 

 

ここで望月衣塑子氏の登場であります ・・・  望月氏のハキハキとしたよく通る声が場内に響き渡ります。

 

註: 本文中に xxx xxx とあるのはそれがしが手荷物をゴソゴソと動かしたときの雑音のため、ハッキリと聞きとれない! という意味であります … 注意はしていたのですがつい話に夢中になってしまって … ご容赦のほど。

 

 初めまして東京新聞の望月と申します。ありがとうございます。国会ではカジノ法案が強行採決されました。まぁ、多くの歯止めになるような項目がつけられないまま331の項目は法案成立後に議論すると、海外で適用されているような15,000平方メートルという面積の上限もいまのところ取り外されています。なによりも心配されるのは、カジノに行って掛け金を掛けた際、お金がなくなったらその施設内で特定融資ができ、かつその貸し付けた債権をその業者はほかの業者に債権を譲渡できるという、もう又貸しの又貸しみたいないわゆる貸金業を施設内でOKという状況をあっさり認めていくという、まぁ多くの国民がですね … 朝日新聞の世論調査で76%が現時点ではカジノは必要がないという、カジノ作るならエアコンつけてという … こういう国民の声を聞かずほとんどアメリカのカジノ業者が、一部のIR利権に群がる業者たちへの利益配分というようなカズ(数)による強引な政治が今まかり通っていると思います。

 

 これまでそんなにですね、実は社会部と言う立場で政治にもともと関心は無かったんですが、私が去年の六月からなぜいち社会部という立場で、本来、政治部がやっているあの内閣記者会場の官邸会見の場に乗り込もうというふうに思ったことになったのか?ふくめまして、いち現場の記者から見て感じる今の政治の問題、状況について語らせていただきたいと思います。よろしくお願いします。望月衣塑子と申します。まぁ、これ「ソ(塑)」がよく読めないとまぁいろんな人から言われます(会場から笑い声が起きる)。去年、四月に急逝してしまった私の母がですね、詩人の萩原朔太郎が大好きでその朔をとって、初めは男の子が生まれますよ、お母さん!というふうに言われていたので、望月はじめくん(朔くん)と名付けてもらったんですが、なんとお腹から出てきたら、あら?この子おチンチンがないわよ!と・・・(会場から笑い声が…)でも、どうしてもこの朔をつかいたいと言って、まぁ、衣塑子とつけて女の子らしくしたと言っていました。モノをつくるひと、創造できる人間になってほしいという思いを込めたと言っていました。

 

 新聞記者というのはだいたい地方の支局を二か所三カ所、多い人で四カ所くらい廻りまして、東京新聞ですと、東京本社、親会社の中日新聞ですと、名古屋本社の勤務になるんですが私は千葉と横浜に三年、支局を勤務しまして、四年目から東京本社の勤務になりました。で千葉と神奈川の支局時代に、所謂、地方の県議や市議とか市の職員や県の職員の方々が関わって起きた、所謂、贈収賄事件、汚職事件!このシナリオにもの凄くハマりまして、所謂、業者とか市の職員とかがお金を受け取ってしまうという、その関係に至るまでつまりどういうことが、それぞれあったのか、といういろんな関係者から取材をすると、これで最後にはこのふたりはこういう状況に行きついたんだな〜という、ことがよく見えてきてですね、まぁ、東京に行ったらさらに大型の政治家の絡む疑獄事件をやりたいと思って、かつて田中角栄のもと秘書をロッキード事件で逮捕した東京地検特捜部を廻りたいという希望を出しました。

 

 2004年から特捜部の担当になります。当時、東京地検特捜部が一応内偵で捜査をしていたのが全国にある歯医者さんの資金団体である日本歯科医師連盟、政治資金団体ですね。役所で日歯連というところの自民党の中堅から大物議員に対する裏献金疑惑というのを内定捜査しておりました。当時、いろんな関係者、日歯連の関係者を取材していくなかでたまたまなんですが、自民党の議員に対する裏献金の一覧表リストというのを関係者から入手したんですね。これだいたいスタートが一千万から始まるんですが、一千万、二千万、三千万とズラズラ―っと上って一番多いところで、橋本派への裏献金語義、一億円というのがございました。これまあリストがあったので当時私はね、誰々議員に一千万、裏献金かぁ〜っとガンガン書いてました。でもこれ特捜部もねおそらく同じようなモノを入手していました。現場はなるべく多くの国会議員を召し捕りたいというふうに希望をもっていたんですが、だいたい国内最強の捜査機関とこれまでは言われてきましたが担当する特捜部の検事が36人くらい、支える事務官が90人ちょっとトータル百数十人くらいの、そのくらいの所帯なんですね特捜部。なのでこの百数十人で20人全員は、トータル20人くらいの名前があったんですが20人全員はできない!ということで当時現場に上から指示が出ていたのが、五千万以下は足切りでだめだと。五千万以上を視野に … (会場からは笑い声が…)。

 

 この五千万というハードルをクリアーし、なお且つ当時はなるべく有名どころ、自民党の大物議員をやりたいということで、現場が上に決済を仰ぎにいったのが実はつい先日亡くなられた、自民党の大物幹事長といわれた野中広務さん(2018年1月26日 92歳没)だったんですね。五千万円の政治資金規正法違反で野中さんを立件へということで現場が上に決済を取りに行きました。するとですね、当時のナンバー2の次席検事が検察庁のトップ、検事総長に呼び出されるんですね。その場に行ったら … 「 細かいことは俺には一切聞くなよ!とにかく野中さんだけには手を入れてはならん! 」とたぶん余程悔しかったんですね、その次席検事、それまで私にネタをくれたことは一切なかったんですが、その総長から言われて一週間後、「 モ チ ヅ キ 、実 は ・・・ ・・・ 」こうやって私にその話を打ち明けてくれたんですね。まぁ、余程悔しかったんでしょう! なぜ野中さんを見送れと立件見送りを、まぁ、総長が指示したのか?いろいろとそのあと取材をしました。するとですね、そのちょっと前に最高検の公安に三井環さんという公安の検事さんがいらした。で彼がある民放のTV局で全国の警察庁で代々行われてきた、プール資金問題、裏金資金問題というものをその民放のTV局に告発に行こうと、現状の検事としてですね、そのTV局へ行くそのタクシーのなかで実は警察につかまるという、こういう事件があったんですね。

 

 この警察庁で代々続いてきた裏金資金問題というのを、国会で自民党の若手議員が今の野党のように追及チームみたいなものをつくって国会の場で厳しくこの検察庁を追及しようと構えていたんですね。そしたらですね、当時の野中さんが追及チームの若手議員をみんな呼び集めまして、「 あ んま り 検 察 庁 に 手 を 入 れ 過 ぎ る と 、絶 対 に 後 々 大 き な し っ ぺ 返 し が 起 き る 。手 を 入 れ 過 ぎ て は い け な い! 」と言って、なんとその剣(件)を収めさせたんですね。こういうことがあったらしいんですね、このとき以来検察庁としては野中さんにはもう足を向けて寝られないということは代々トップで語り継がれていた。なのでこのときのことが大きなきっかけとなって立件見送りの指示が出たのではないかということでした。まぁ、当時はですね、今以上にもうもっと血気盛んだったので現場の特捜部の幹部には、私、だいぶ噛みついてきました。まぁね、一千万、二千万、三千万、五千万以下はやめろだのね、これをクリアーしてる野中さんをね、かつての恩義があって見送るだのね、特捜部というのは時の権力者、政権与党にね、権力の監視機関として捜査のメスを入れ、そして監視、チェックしていく、そういうことが貴方たちの仕事じゃ無いんですか!なにをやってるんですか!と大分ね、噛みついていたのを憶えています。

 

 当時の検事たちが私に言っていた言葉が、「 モ チ ヅ キ 、お 前 の 悔 し い 気 持 ち は ス ゴ イ よ く 分 か る ! 」と、「 お 前 は お そ ら く 我 々 が 持 っ て い る だ ろ う 資 料 の い く つ か を ど こ か か ら 入 手 し 、そ れ を 基 に お そ ら く 記 事 を 書 い て い る ん だ ろ う 」と、あのいくつかの記事を。「 し か し な が ら 我 々 は 、 お 前 が 持 っ て い る そ の 資 料 の お そ ら く 十 倍 、 百 倍 の も の を 持 っ て い る ! さ ま ざ ま な  xxx xxx  を 強 制 捜 査 や  xxx xxx  で 押 収 し て  xxx xxx  決 済 を 仰 ぎ 、 そ し て  xxx xxx  そ れ で も 潰 さ れ て い る 、お 前 が 悔 し い と 思 う 気 持 ち の 十 倍 、百 倍 の 気 持 ち を 私 た ち は 持 っ て い る !」「 し か し なが ら 見 て い て く れ  」と、「 や は り 時 の 権 力 、 政 権 与 党 に 斬 り 込 み 、権 力 の 監 視 機 関 と し て 捜査 の メ ス を 入 れ る こ と が で き る の は 、 わ れ わ れ 特 捜 部 し か な い と 思 っ て い る 、上 か ら は い つ も 五 箇 条 の ハ ー ド ル を 課 さ れ て い る 。し か し な が ら 我 々 は や る べ き こ と を し っ か り や る  」と、そういう話しをしてくれました。でそのあともですね、やはり最高検や法務省サイドから例えば青木幹雄は二億円とかね、いくつかのほかの忖度主義が出ておりました。

 

 しかしながら一応当時、橋本派への裏献金小切手一億円事件というのには着手いたしまして、派閥の解消だとか橋本元首相はこれによって辞任に追い込まれていきます。それから自民党のお財布といわれている国民政治協会、ここの大物の事務局長を聴取するなど、それなりに自民党に斬り込むいくつかのルートをやっておりました。でこの当時の状況と今の状況、みなさんがご存じの通り森友学園の国有地売却をめぐっては8億円超もの大幅値引きが根拠なく行われた可能性が、非常に強いということが去年の年末に国の会計検査院が指摘をしたと、言う状況があったにもかかわらず、まぁ、つい最近ではあの籠池ご夫妻を詐欺罪で逮捕、起訴というのを昨年の夏、早々とやっておりましたが、その先ですね、なぜ8億円もの値引きを本省の理財局は承認し、大阪航空局、近畿財務局は認めたのか?この根幹に迫るような二の矢、三の矢をまったくやることないまま、つい最近38人で全員の職員不起訴を決めました。この今の状況と当時の状況を比較すればまだ当時の状況のほうが、いろいろとああだこうだといわれながらもときの権力、政治のもとへ斬り込もうという気構えを私に語ってくれた、こころある幹部がたくさん居たなというふうに思っております。

 

 当時は ??? ??? というスタイルで(ひとつの慣用句?みたいな響きでしたがハッキリと聞き取れず意味不明なり)取材をしておりました。これはつい最近、福田前セクハラ事務次官、彼の話がバァ―っと出たときにあるTVのコメンテイターの方が、へぇ〜なんか女性記者って携帯ピロピロピロ〜なんて鳴ると、はい、行きます〜とか言ってね、夜のそんな場所にいくんですか?とそれもおかしくないですかぁ〜っていう議論していたと聞きましたが、まぁ、私はまさにテレ朝を告発した女性記者と同じようなスタイルで取材をしておりました。

 

 これは例えば夜の11時過ぎくらいにある特捜部の幹部が決まったハイヤーのナンバーに乗ってそのハイヤー乗って帰ってくると決まっています。だいたい11時くらいにその幹部の自宅近くの公園とか物陰に隠れてひっそりして、みんなこういうふうに(電柱の影に身を隠すような仕草を … 熱演でした)バラバラになって待ってるわけなんですが、社会部の場合はご近所に迷惑になるからお前たち見つからないように待ってろ!って言われてるんで、みんなそれぞれに静か〜に待ってるんです。これが政治部だとぜんぜん違ってビックリしちゃうんですが、だいたいみんな国会議員の赤坂の議員宿舎とかの横にね、ハイヤーを高級な黒塗りのハイヤーをバンバンバンって横付けして車の中でこういう風に待ってるわけです。これ見つからないように待ってろと言われているんで、みんなこういうふうに待ってるんですね、夜の11時過ぎくらいに幹部の乗ったハイヤーがライトを点けてこっちへ来る、あぁーあのナンバーはあの幹部だな、帰って来たーとみんな暗闇にいたのがモゾモゾモゾと ??? ??? その幹部が車から降り立つと、あっ、どうもきょうはお疲れさまでしたーと言って、みんな15〜16人の番記者でバァ―と囲みます。事件の流れについて、まぁダイレクトになかなか生々しい話しはふれないんですがああでもないこうでもないと、いろいろ事件の感触を決めます、30分くらいで終った後は個別のスクープネタを持っている社がそれぞれ1分か2分、個別の質問をぶつけていきます。だいたい40分くらいで12時40分くらいで終ります。どうも今日はお疲れさまでした〜、また、明日頑張りましょうと幹部を見送る、そうすると遠くで待ってもらっていた自分たちのハイヤーに来てもらってハイヤーに乗って自宅に帰る。駈込むようにご飯を食べて、シャワーを浴びてお風呂に入ってパジャマに着替えて寝てると、そうですね夜中の12時半くらいにピロピロピロ〜っと、携帯が鳴るわけなんですね(会場からは笑い声が)。

 

 ハッと出ると特捜部の飲んでる幹部からです、「お 〜 ぃ 、モ チ ヅ キ! オ マ エ 、今 、ど こ で な に し て る ん や ぁ、わ れ わ れ 皆 で 銀 座 で 飲 ん ど る か ら 、来 れ る か ぁ 〜 」(このときのダミ声は最高でした!)とこのときはとにかく特捜部の検事でも事務官でもいいから、とにかく内部の誰々に食い込んでちょっとでも事件の流れを追っていきたいと思っていますから、「あ っ 、も う 今 す ぐ 、今 す ぐ 行 か せ て い た だ き ま す !」(会場からは大きな笑い声が)さっき帰ってもらったハイヤーにもう一回来てくださーぃって来てもらって、午前1時過ぎに銀座へ繰り出したお店の中に入ると幹部たちがウワーと飲んで、ウワーっとやってるわけですね。そこへビール ??? ??? (会場からは大きな笑い声が)これがね、飲んべぇーはいつまでも飲んで、3時、4時くらいまで続くんで、そして4時くらいに幹部が、「 あ ぁ 〜 今 日 も た く さ ん 飲 ん だ な ぁ 、そ ろ そ ろ 帰 る っ ぺ ぇ ー 。」 みんなで 、じゃ、帰りましょう帰りましょうって、また、きょうもがんばりましょう!----- -----(このとき、コオロギさんと笑い転げていたので収録はノイズだらけでNGそうするとですね、遠くで寝て待ってもらっていた私のハイヤーさんにまた来てもらって、こんどは飲んべぇーではなく、お酒なんか飲まないで規則正しい生活をしている幹部もいっぱいいる訳ですね(会場から笑い声が)。その幹部は、朝、だいたい5時30分に起きて6時前にこの公園の前を通りますというお散歩コースが決まってるわけですね。幹部が散歩してくるのを待ってるんです。こうして24時間フル稼働でやってたわけです。まぁ、昼間はけっこう寝てたんですが(会場からは大爆笑が)、やってました。一年くらい勤務やっていたんですが、会社の自動車部(?)に呼び出されました。「な ん だ オ マ エ 、モ チ ヅ キ 、オ マ エ の 配 車 記 録 見 た ら ほ と ん ど 家 に 帰 っ て な い じ ゃ な い か !(会場からは度々大きな笑い声が)オ マ エ 、車 の  中 で 生 活 し て る の か ?  バ ブ ル 期 で も な い の に さ す が に ハ イ ヤ ー 代 を 使 い 過 ぎ だ ぁ 〜 」と、大目玉を食らいまして、そこからなんと整理部というね現場記者から内勤の仕事にいくことになってしまったんですね。

 

 この整理部というのは現場が書いてくる記者さんの記事をみて、あぁ、これ一番め、二番め、次これ三番手!これでいきましょう!とニュース価値を判断し、見出しをつけ全体のレイアウトを作っていくというこういうセクションですね。初めはもうコンピュータの前でひたすら作業なんですね、なのであぁ〜現場で取材したいなぁ〜と初めはなかなかもう慣れるまで大変でした。まぁ、しかしながら毎日毎日、いろいろなニュースをこうみていると、あぁ〜そうかぁ、それまではもう事件、事故、政治家の汚職とか、そういうことしかぜんぜん関心がなかったんですが、あぁ、やっぱり新聞というのは事件、事故だけではなくて、国際部のニュースがあったり、経済のニュースがあったり、教育問題の話があったりね、ときには暖かい人の話があったりね、いろんなものが詰まって初めて一個のあったかい新聞という商品を読者の方に出すことができるんだなぁ〜、ということをすごい学んだいい時間にもなりました。しかしながらこれが一年、一年半と経ってきたときにそろそろまた現場に出て、市民の方の声を聴いて政治家を取材してみたいなぁという思いがまた強くなったんですね。で当時かつて日歯連の記事をバンバン書いていたときに、他社さんの何人か他社さんの記者さんがなんか東京新聞にすごくがんばっている女性記者がいるなぁ、とまぁ目を掛けてくれた社があったんですね。彼らがうちに来てもう一回、社会部とか政治部とかね、いろいろ思い切って取材をしてみないか?という声を掛けてくれました。そのなかでいちばん、このわたしのしつこい、まぁ、事件記者魂を買ってくれて、なおかつ先輩と馬が合ったのが実はなんと読売新聞だったんですね(会場からは大爆笑が … もちろん、それがしも笑った!)。それでいろいろと悩んだんですがやっぱり読売新聞の先輩たちが、いちばん自分のこの性格をよく知ったうえで、お前ならうち来て事件記者として名を馳せていけるぞ!と一緒にがんばろう!といってくれたと思いまして、読売新聞を受けようと思ったんですね。それで転職の面接を受けまして、一次、二次、三次とクリアーして合格通知をいただきました。

 

 その次の日、読売の人事部に正式に行くか行かないかを言い渡してくださいと言われていた、その前日、まぁ、これもまた七年前に他界してしまったんですが、当時、生きていた私の父にひと言、「読 売 に 行 く よ !」とひと言いっておこうと思ったんですね。実はこの父というのが団塊の世代で非常にみなさんのようにアグレッシブな方で全国の労働争議( と聞こえましたが、もしや父親は弁護士か? ⇨実際には『業界紙の記者をしていたマスコミ人であった』とか )とかいろんなものに飛び回っていたひとでした。父は父自身がですね、「衣 塑 子 、お 父 さ ん は ち っ ち ゃ い こ ろ か ら 親 が こ う し な さ い 、あ あ し な さ い と 言 わ れ た こ と に ま っ た く 従 わ な く 、自 分 で 自 分 の 道 を 切 り 開 い て き た (会場からは笑い声が … いまの望月氏にそっくりだといわんばかりに?)、お 前 自 身 も お 前 の や り た い こ と を  xxx xxx  誤 ら な い 限 り は お 父 さ ん に 相 談 し な く て い い 、お 父 さ ん は お 前 が 決 め た 道 は す べ て 同 意 し て る か ら 、い い か ら 好 き に や り な さ い !」と いわれた 。進学も就職もそれまでにまったく相談することもありませんでした。しかしながら東京新聞に決まったよと言った時にすごくよろこんでいた父の顔をちょっと思い出しまして、あぁ、会社変わることくらいは言っといたほうがいいかなと思って、当時、父が仕事をしていた渋谷の近くのおでん屋さんに父を呼び出しまして、こうお酒を飲みながら、そろそろ現場に戻りたくて読売新聞に行くことに決めましたと告げたんですね。そしたら反対しないって言ってたんでね、初めは、「 あ っ 、そ う か 分 か っ た! 」と言ってたんですけど、そのあと二時間くらいでだんだんと焼酎がすすんできたらですね、いきなりボソっと、二時間後、「 う ぅ 〜  や っ ぱ り お 父 さ ん 、読 売 新 聞 だ け は 止 め て ほ し い !」(会場にはこの日一番の大爆笑が)「 あ っ 、そ う で す か? じ ゃ ち ょ っ と 止 め ま す 、お 父 さ ま!」と素直に従うような娘ではなかったんですけど、この父のそういうところが妙にこころにそのようにひっ掛かってしまいまして、結局ね、眠れない一夜を過ごして、次の日、読売の人事部にやっぱりもうちょっと東京新聞整理部でがんばってみようと思いましてと言って、まぁ、お断りをしたと、こういうことがあったんですね。

 

 おそらくいま振り返ってもあの父のひと言がなければ、私は確実に読売にもう行っていたと … そうするとですね、その後に巡り合った第二次安倍政権が解禁をした武器輸出解禁という、この動きに関しましても、わが東京中日新聞は戦後、憲法九条を柱に平和国家をつくるという、この流れと大きく逸脱する動きではないかということでたくさん批判的な記事を書かせてもらいました。まぁ、これは取りも直さず第二次大戦のときに多くの新聞社、わが東京中日新聞の新聞記者たちが非常に大本営の発布に則った報道をひたすら繰り返し、体制を xxx xxx みんなに多くの罪なき市民の方々を戦争の惨禍に扇動していったという、こういう負の歴史を抱えてるんですね。同じように二度と戦争に手を貸すメディアであってはならない!と、そういうことを会社の根幹にも掲げていますので、この武器輸出解禁の動きを非常に重たいというふうにたくさん重ねてもらいました。

 

 しかしながら、もしこれ読売新聞に行ってた場合は正にいまの安倍政権とまったく同じで日本の国防技術、軍事技術を高めるためには武器輸出を解禁し、海外にどんどん出すより海外と共同開発をやっていくべきだと、こういう論調ですので同じように防衛企業や防衛費を減らしても、私が書きたいようなタッチではおそらく一本の記事を書くことはできなかったと思います。読売新聞の場合は私のような現場のぺーぺーのいち記者が、多くのきょうのように市民のみなさんを前にして、いち取材の現場の記者として見ていてこう感じる!今の政治ここがオカシイなんてことを声を大にして発信させてもらう、これまず認めてもらってないと思います。それからねSNS、FACEBOOKやTWITTERですね、あぁ言うものを使って読売新聞社という肩書をもちながら取材の現場から、このニュースはこうみえる、こうじゃないか?みたいな、いま私がやっているような発信 xxx xxx も認めてもらえないです。きょう天国の父がですね、このわらびのくるるの空の上から「衣 塑 子 、 よ う や く パ パ の 気 持 ち が オ マ エ わ か っ た か ぁ 〜 !」(会場に再び大きな拍手と大爆笑が)xxx xxx (笑い転げていたので聞き取りできず!)

・・・ IC Reco. #17file より

 

この続きは「下巻」として追ってアップします!どうかご容赦のほど。

 

 

きょうも最後までお付合いくださいまして、ありがとうございました。

車は安全運転でお願いします!

 

 

 

 

 

 

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(2018July29)オウム13人死刑執行 村上春樹氏寄稿 毎日新聞

  • 2018.08.11 Saturday
  • 18:35

 

こんにちは

 

 オウム真理教の元幹部ら13人の死刑が今月執行されたのを受け、作家の村上春樹さん(69)が毎日新聞に文章を寄せた。1995年の地下鉄サリン事件に衝撃を受けた村上さんは、被害者や遺族へのインタビューを著作にまとめ、裁判の傍聴を重ねるなど、深い関心を寄せ続けてきた。「胸の中の鈍いおもり」と題する寄稿で、刑の執行への複雑な思い、裁判での印象、残された課題について素直につづっている(当該紙面より)。

 

 

 

2018年7月29日付 毎日新聞

 

 

 

胸の中の鈍いおもり 事件 終っていない 

と題して作家の村上春樹さんが毎日新聞に寄稿しました。関心のある方はちょっとお付き合いください。

紙面スクラップはコオロギさんからいただきました。いつも、ありがとうございます!

 

以下、記事全文です … … …

 

 

 

    死刑の持つ意味

 

 七月二十六日に、七月六日に続いて二度目の死刑執行が一斉におこなわれ、これで死刑判決を受けた元オウム真理教信者の十三人、すべてが処刑されたことになる。実にあっという間のできごとだった。

 

 一般的なことをいえば、僕は死刑制度そのものに反対する立場をとっている。人を殺すのは重い罪だし、当然その罪は償われなくてはならない。しかし人が人を殺すのと、体制=制度が人を殺すのとでは、その意味あいは根本的に異なってくるはずだ。そして死が究極の償いの形であるとう考え方は、世界的な視野から見て、もはやコンセンサスでなくなりつつある。また冤罪事件の数の驚くべき多さは、現今の司法システムが過ちを犯す可能性を──技術的にせよ原理的にせよ──排除しきれないことを示している。そういう意味では死刑は、文字通り致死的な危険性を含んだ制度であると言ってもいいだろう。

 

 しかしその一方で、「アンダーグラウンド」という本を書く過程で、丸一年かけて地下鉄サリン・ガスの被害者や、亡くなられた方の遺族をインタビューし、その人々の味わわれた悲しみや苦しみ、感じておられる怒りを実際に目の前にしてきた僕としては、「私は死刑制度には反対です」とは、少なくともこの件に関しては、簡単には公言できないでいる。「この犯人はとても赦すことができない。一刻も早く死刑を執行してほしい」という一部遺族の気持ちは、痛いほど伝わってくる。その事件に遭遇することによってとても多くの人々が──多少の差こそあれ──人生の進路を変えられてしまったのだ。有形無形、様々な意味合いにおいてもう元には戻れないと感じて居られる方も少なからずおられるはずだ。

 

 僕は自分の書いた本を読み直して泣いたりするようなことはまずないが、この「アンダーグラウンド」という本だけは、必要があって読み返すたびに、いくつかの箇所で思わず涙が溢れ出てきてしまう。そのインタビューをしていたときの空気が、そこにあった気配や物音や息づかいが、自分の中にありありと蘇ってきて、息が詰まってしまうのだ。たとえセンチメタルだと言われようと、ぼくは本を(小説を)書く人間として、そういう自然な気持ちを押さえ込んでしまいたくないし、できることならそれを少しでも多く読者に伝えたいと思う。また僕自身も、この一冊の本を書くことを通して、自分の中で何かが確かに変化したという感触を持っている。

 

    遺族感情 どこまで反映

 

 ただ、遺族感情というのはなかなかむずかしい問題だ。たとえば妻と子供を殺された夫が証言台に立って、「この犯人が憎くてたまらない。一度の死刑じゃ足りない。何度でも死刑にしてほしい」と涙ながらに訴えたとする。裁判員の判断はおそらく死刑判決の方向にいくらか傾くだろう。それに反して、同じ夫が「この犯人は自分の手で絞めて殺してやりたいくらい憎い。憎くてたまらない。しかし私はもうこれ以上人が死ぬのを目にしたくはない。だから死刑判決は避けてほしい」と訴えたとすれば、裁判員はおそらく死刑判決ではない方向にいくらか傾くだろう。そのように「遺族感情」で一人の人間の命が左右されるというのは、果たして公正なことだろうか?ぼくとしてはその部分がどうしても割り切れないでいる。みなさんはどのようにお考えになるだろう?

 

 

 

 

2018年7月29日付 毎日新聞

 

 

 

 

       葛藤 秘められたまま

 

 僕は「アンダーグラウンド」を出版したあと、東京地裁と東京高裁に通って地下鉄サリン・ガス事件関連の裁判を傍聴することにした。仕事の関係で旅行に出ることも多く、もちろんすべての法廷には通えなかったが、東京にいるときは時間の許す限り傍聴した。とくに林奏男(元死刑囚)の裁判には関心があったので、そちらを主にフォローした。僕が林泰男の裁判に関心を持ったのは、彼がサリン・ガスを散布した日比谷線(中目黒行き)の車両がもっとも多数の被害者を出し、そのうちの八人が命を落とされたからだ。僕がインタビューした被害者も、その車両に乗っていた人が圧倒的に多かった。彼は他の実行犯たちが、サリン・ガス溶液の入った二つのビニール袋を、尖らせた傘の先で突いたのに対し、自分から進んでビニール袋を三つに増やしてもらい、それを突いた。そのことも被害者の多さに繋がっていると言われる。その林奏男というのはいったいどういう人物なのだろう? どのようにしてそんな重大な犯罪を犯すに至ったのだろう? 僕としてはそれを自分の眼で見届けたかった。伝聞なんかではない第一次情報として知りたかった。

 

 結果として、林奏男はかなり複雑な感情を抱えた人間だという印象を僕は持った。今ここで「彼はこういう人間だ」とはっきり割り切ることは、とてもできそうにない。彼の裁判には何度も足を運んだが、被告席に座った彼が何を考え、何を感じているか、その本当の気持ちを見極めることはむずかしかった。どちらかといえば、自分にとって大事なものは殻の中に収め、人目には晒さないという態度を静に保っているように見えた。長い逃亡中に身につけたガードの強さみたいなものも、そこにはあったかもしれない。相反するいくつかの感情をうまく統合しきれないまま、捌ききれないまま自分の中に抱え込んでいるような印象も受けた。ただ自らの行為を悔み、審理の信仰に対して終始協力的であったとは聞いている。

 

 昔の友人や知人の証言を総合すると、本来は前向きで、真面目な考え方をする素直な青年であったようだ。弱い部分や、心の傷を抱えてはいたが、自らを律しようという意志もそれなりに強かった。多くの人々が彼に対して好感を抱いていたようだ。しかしそのような真摯で前向きの姿勢をうまく活用できる状況に、自分の身を置くことがむずかしかったらしい。それはこの裁判で裁かれた多くの元オウム真理教信者について、共通して言えることでもあるのだが・・・。そして修行という新しい文脈が、彼らの充たされざる思いを手際よく有効に、そして結局は極めて邪悪に、すくい上げていくことになった。

 

 林奏男の裁判に関して、僕がよく覚えているのは、法廷にいつも必ず彼のお母さんが見えていたことだ。誰かが「あれが林の母親だよ」と教えてくれた。小柄な女性で、よく僕の前の傍聴席に坐っておられた。裁判のあいだじゅう、ほとんどぴくりともせず、たぶん被告席の息子の方をじっと見ておられたのだと思う。彼女の姿が法廷に見当たらなかったのは、判決言い渡しの当日だけだった。おそらく息子に極刑の判決が下りることを覚悟し、それを実際に耳にすることに耐えられなかったのだろう。まだお元気でおられるのか、今回の死刑執行の報を耳にしてどのように感じておられるのか、それを思うと胸が痛む。

 

     木村判決 一筋の光明

 

 林奏男の裁判に関して、もうひとつ印象に深く残っているのは、担当裁判官であった木村烈氏がとても公正に、丁寧に審理を運営しておられたことだ。最初から「実行犯は死刑、運転手役は無期」というガイドラインが暗黙のうちにさだめられている状況で(林郁夫=受刑者・無期懲役確定=という例外はあったものの)、審理を進めていくのにはいろんな困難が伴ったと思うのだが、傍聴しながら「この人になら死刑判決を出されても、仕方ないとあきらめられるのでhないか」と感じてしまうことさえあった。

 

 正直に申し上げて、地裁にあっても高裁にあっても、唖然とさせられたり、鼻白んだりする光景がときとして見受けられた。弁護士にしても検事にしても裁判官にしても、「この人は世間的常識がいささか欠落しているのではないか」と驚かされるような人物を見かけることもあった。「こんな裁判にかけられて裁かれるのなら、罪なんて絶対におかせない」と妙に実感したりもした。しかし林奏男の裁判における木村裁判長の判断に関する限り、納得できない箇所はほとんど見受けられなかった。判決文も要を得て、静謐な人の情に溢れたものだった。

 

 「およそ師を誤るほど不幸なことはなく、この意味において、林被告もまた、不幸かつ不運であったと言える。(中略)林被告のために酌むべき事情を最大限に考慮しても、極刑をもって臨むほかない」

 

 気持ちがしっかりと伝わってくる優れた判決文だったと思う。それは希望の余地というものがほとんど存在しないこの長い裁判を通して、最後に辛うじて差し込んで来た微かな光明のようなものだったかもしれない。

 

     十三の死 踏まえ考える 

 

 それでも死刑判決を生れて初めて、実際に法廷で耳にして、それからの数日はうまく現実生活に戻って育成いくことができなかった。胸に何かひとつ、鈍いおもりが入っているような気がしたものだ。裁判長の口から死刑が宣告されたその瞬間から既に、死は法廷の中に姿を現していた。

 

 そして今、オウム事件関連の死刑囚、十三人全員の死刑が執行されたとの報を受けて、やはり同じように胸の中のおもりの存在を感じている。表現する言葉をうまくみつけることのできない重い沈黙が、僕の中にある。あの法廷に現れた死は、遂にその取り分をとっていったのだ。

 

 十三人の集団処刑(とあえて呼びたい)が正しい決断であったのかどうか、白か黒かをここで断ずることはできそうにない。あまりに多くの人々の顔が脳裏に浮かんでくるし、あまりに多くの人々の思いがあたりにまだ漂っている。ただひとつ今の僕に言えるのは、今回の死刑執行によって、オウム関連の事件が終結したわけではないということだ。もしそこに「これを事件の幕引きにしよう」という何かしらの意図が働いていたとしたら、あるいはこれを好機ととらえて死刑という制度をより恒常的なものにしようという思惑があったとしたら、それは間違ったことであり、そのような戦略の存在は決して許されるべきではない。

 

 オウム関連の事件に関して、我々には──そしてもちろん僕自身にも──そこから学びとらなくてはならない案件がまだたくさんあるし、十三人の死によってそのアクセスの扉が閉じられたわけではない。我々は彼らの死を踏まえ、その今は亡き生命の重みを感じながら、「不幸かつ不運」の意味をもう一度深く考えなおしてみるべきだろう。

 

以上です。

 

 

p.s.,

i 今回のテーマはあまりにも重いです。十三人の死によって・・・それがしごときにコメントなんてできません!でも、これだけ言わせてください。それがしも死刑制度は反対であります ⇨ この日本には何故に終身刑ってできないの? いろいろとお金が掛かり過ぎるから? … だから参議院なんて要らない!と個人的には声を大にして叫びたい! …… 失礼しました。

 

ii 望月衣塑子さんはカキコ中であります。

 

iii   2018Aug19 04:13 一部、誤字を訂正しました。後段にて(育成⇨いく)失礼しました。

 

 

がんばれ、村上春樹!

 

ではでは。

 

 

今日も最後までお付合いくださいましてありがとうございました。

この冬はとんでもなく寒くなりそうですが・・・ 。

どうぞ、ご自愛のほど。

 

車の運転は安全第一でおねがいします。

 

 

 

    

 

2018年8月8日 村上春樹 「DJ ハルキ語り熱く」と毎日新聞が・・・

  • 2018.08.08 Wednesday
  • 18:15

 

こんにちは

 

 先日 on-air された「村上RADIO」ですが、先月(7月)の毎日新聞(7/30付 ?)にちょこっと紹介されていました。今さらとは思いますがちょっと読んでみてください。なお、コオロギさんより紙面スクラップをいただきました … いつも、ありがとうございます。

 

さて、それがしにはずいぶんと乱暴なタイトルと感じましたが、大丈夫か?毎日新聞社!なんでも短くすればいいってもんじゃないと思うけど、ほどほどに。

それは「 DJ ハルキ語り熱く 」と題された紙面最上段に配された記事でありました。

 

 

 

        

 

      2018July30? 毎日新聞

 

 

 

 

 

こちらが記事全文です・・・

 

 

 作家の村上春樹さん(69)が、来月5日放送のラジオ番組でディスクジョッキー(DJ) を務める。村上さんがテレビやラジオに出演するのは初めて。村上さんの作品はよく音楽が登場することで知られ、番組では「自分の文章の先生は音楽」と語るという。自ら選曲し、青春時代の話や代表作「ノルウエィの森」の意外なエピソードも披露する。村上さんの肉声が電波に流れる貴重な機会となりそうだ。【井上知大】

 

 

初ラジオ 来月5日放送 「 文章の先生は音楽

 

 番組は、TOKYO FMの「村上RADIO〜RUN&SONGS」(5日午後7時〜同55分、全国38局ネット)。レコード収集家である村上さんは1年の多くを海外で過ごし、各地のレコード店を回る。フルマラソンのレースに何度も出場しているランニング好きでもあり、番組は音楽とランニングをテーマにした内容になる。

 

 メディアへの露出が極めて少ない村上さんだが、2015年には期間限定のサイト「村上さんのところ」を開設し、ファンの質問に答えるなど、近年は読者との交流の場を設けた。同局のエグゼクティブ・プランナー、延江浩さん(60)は「大好きな音楽を通したリスナーとのコミュニケーションに興味をずっと持っていたはず。小説は1人で読むもので、ラジオも基本的には1人で聴く。1対1の対話という点で親和性があるのではと考え、企画した」と明かす。

 

 延江さんは今春、出版社の担当編集者を介して、同局に村上さんを招いた。スタジオ内にあったレコードのターンテーブルと、ジャズなどのLPレコードに村上さんが興味を示した。「普段はそんなの置いていないけれど、村上さんの好みをリサーチして仕込んでおいたんだ」と延江さん。

 

「これはホレス・シルバーというミュージシャンのLPでね。高校時代にガールフレンドと購入したんだけど … 」。マイクの前に座った村上さんが、思い出話や曲のうんちくをプロ顔負けの知識で語り始め、延江さんが時々、質問をはさむ。そんな会話を録音し、後日、村上さんが一人語りしているような形に編集して音源をプレゼントした。「あれでイメージが湧いたはず」。その後、出演の話はとんとん拍子に決まった。

 

 同局によると、全国ネットのラジオ番組の多くは分業制で、DJとディレクターやアシスタントらが一緒に番組を作るが、今回は、DJの村上さんが選曲や構成も担当するワンマンDJスタイル。収録は6〜7月に行われた。延江さんは「今、日本でこのスタイルの番組をしているのは山下達郎さんくらい。村上さんの選曲は、知られざる1曲や変ったアレンジなど多岐にわたり、そこに丁寧な解説と、人柄が垣間見えるエピソードが添えられる」という。「偉大な一人の作家の声が初めて日本中に流れる機会であると同時に、質の高い音楽が紹介されるラジオの醍醐味が味わえる。平成最後の夏を彩る瞬間になるはず」と語る声は熱を帯びていた。

 

以上であります。

 

 

 

ここでひと言だけ言わせて、

 いくら文芸記事と言えどもこの記事は横暴で歯切れが悪い内容だと個人的には感じています。それはここで掲載されている写真に対してですが、よくみてください、村上君の顔がハッキリと見えません!

 

 

                  

 

 

 

いくらYSのキャップを被っていても、このひと、もしかしたら延江さんかもしれないし、単なるラジオ局の関係者のひとりか?レコーディングスタッフとかのひとりかも知れません。ハッキリしていることはどう見ても、お言葉ですが、普通こんな写真はまず没でしょ!使いませんよ!そこが横暴だと訴えたい!これがプロの記者による、ましてや全国紙の記事とはとても思えないと言ったら言い過ぎでしょうか? … また、それがしには村上春樹が「平成最後の夏を彩る瞬間になるはず」こんなにもしゃら臭くて陳腐な表現は〇んでもはかないだろうし、思い描くこともないだろう!とひと言、断っておきたいです(勝手な理屈です、あくまでも個人的なものですが) … ちまちまと喧しいことを言って失礼しました。決して関係する方々に対して、誹謗、中傷するものではありませんので念のため。

 

 今のそれがしは質実剛健とまではいきませんが、そこそこに健康な躰(高齢者)と思っています。そして毎日がヒマの塊です( 骨はカル石みたいにカサカサですが … )いい歳をしていまだに頭をあちらこちらへボコボコとぶつけている日々でありますが、これについては村上君のお説の通りですね! それがし、人生を少しでもまっとうしたく些細なことでも、納得できないことがあるとあれこれと思いあぐねることが最近は常になってきて ・・・ぐずぐずと失礼しました。

頓首

 

 

p.s.,

横暴な写真掲載の件は、毎日東京本社宛に質問メールを投げました。

リプライは落手次第にここに報告します!

 

 

ではでは。

 

今日も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

酷暑のなか車の運転はどうか安全第一でお願いします!

 

 

 

 

 

2018Aug6 くたばれヤンキース!… R.ソックス4連勝 !!!

  • 2018.08.06 Monday
  • 14:05

 

気分爽快!

ボストンは4連勝でチリひとつ残さない、見事なスイーピングでした。

 

がんばれ、レッド・ソックス !!!

 

 

ではでは。

 

 

 

2018年8月6日(月)広島 原爆の日 被爆から73年です

  • 2018.08.06 Monday
  • 11:04

 

こんにちは

 

今年も、そのときは静かにやってきました。

2018年8月6日 午前8時15分、広島は被爆から73年です。

 

ごめんなさい!

今年も平和記念公園には行けませんが、

こころから犠牲になられた方のご冥福を祈ります。

合掌

 

 

 

 

 

こちらは 2010年8月14日 の平和記念公園です。

 

 

p.s.,

こんなことをいってはいけない!わかってはいるのですが、今年はどうにもガマンできない自分がそこにはいました。情けなくなりました、この国の政府の核兵器廃絶への思いを … … 本気度を感じません!  … 全国の被爆者健康手帳の所持者は今年3月末で15万4859人と過去最少となり、平均年齢は82.06歳に達した。と毎日新聞の寺岡俊記者は伝えています。

いまこころを新たにして叫びたい!

 

核兵器廃絶への誓いを新たに、がんばろう、 H I R O S H I M A  !!!

 

 

 

 

2018年8月5日 村上RADIO … ドブ板のバーガーショップにいるみたいだった!

  • 2018.08.05 Sunday
  • 23:36

2018Aug6 18:30 後段に勝手ながら、一部、追記しましたのでご容赦のほど・・・

 

 

こんにちは

 

いや〜、参りました!

村上RADIO すっかり忘れていました、ほんとです。

9時近くになって気がつきました。そこで、radiko.jpのタイムフリー というコーナーで聞きました。世の中便利になりましたね、radiko.jp ありがとう!ほんと助かった。直接 I.C.Recorder に録ったので雑音無しです。いまから風呂に入るのでゆっくりともう一度聴いてみます。肝心の放送内容については、もっとジャズについて話して欲しかったかな、ちょっと残念でした … しかし、最初から最後までドブ板のバーガーショップにいるような気分になっていました。おかげでお腹が空いてきた!ドブ板で大きなカップでいただくコーヒーは最高においしいです。⇨ どうでもいいけど、やっぱり「 続き 」は無しですかね!あと2回くらい聴いてるとなんだか癖になりそうな予感があったので残念だけど・・・ 。

 

あっ、便利な radiko.jp のタイムフリーは 2018年08月06日 20:25まで聴取可能です

 

 

ではでは。

 

 

 

p.s.,

 風呂に入りながら聴いていてなんとなく感じたんですが、村上君、冒頭の3分間くらいですが声がヘンだったね。妙にこもっていて普通に呼吸していない(できない?)ような、なんか背中だけコンクリ詰め状態みたいな?そんな感じだったけどだいじょうぶか?… とにかく不自然だった。やっぱり緊張していたんだろうか? いい歳して(ゴメン!… おない歳だから許せ!)結構、シャイな奴じゃないか!村上君もひとの子です、正直者だね。見直したよ!っていったいどこを ?! ⇨ きっと人並外れたへそ曲がりでは? あっ、がんこ者とも言いますね。

 

最後にお願いがあります、放送中に音楽とナレーションを被せるのはほどほどにしてもらいたい!これはある意味ご法度です。じゅうぶんに承知の上で敢えてやったようなフシを感じますが、村上君のことだからしかねないな? … ディレクターの忠告を無視して?無理やり通したんだろうなと、それがしは勝手に想像します。まぁ、たいしたことではないと思いますがこの辺り、黙って言うことを聞かない「 ガンコなひと 」だからね!(たぶん)

 

それでも全体的には、スポンサーは世田谷区教育委員会でした。みたいな目には見えない行儀のよさ?があって、ちょっとゴジ(じゃがいもの・・・)が過ぎたようにも感じたけど、まぁ、よかったです。

お疲れさまでした。

 

ではでは。

 

2018Aug6 18:30 追記しました(失礼しました)。

 

 

 

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