2017年10月1日(日) 秋がやってきました 〜 きょうから神無月です。

  • 2017.10.01 Sunday
  • 04:19

 

こんにちは

 

先週のことですが銚子で彼岸花が咲き、長野ではアキアカネが観測されました。静かに音もなく? 秋が深まっていきますが、この時期にピッタリのセンチメンタルな一句をご紹介しましょう … はい、切ない秋がどんどんと深まっていきます。どうかご自愛のほど。

 

 

        たましひのたとへば秋のほたるかな

 

 

こちらは、俳人、飯田蛇笏が芥川竜之介の訃音に接し、鬼才俳友の早過ぎた終りを惜しんだ句です(芥川竜之介俳句集・岩波文庫より)。

 

 

 

 


 

 

アオゲラ 全長 29cm 撮影者:大橋弘一 撮影地:東京都三鷹市

全体的に黄緑色系のイメージのキツツキ類です。本州・四国・九州に通年生息する日本固有種のひとつで、国外には分布していません。体上面や翼の黄緑色だけでなく、頭頂などの赤い部分、腹の横縞模様などと相まって鮮やかな色彩が森の中でも目立ちます。特に秋から冬にかけて、葉が落ちた森の中で存在感が増すように感じられます。ちなみに俳句の世界では「啄木鳥」は秋の季語です(日本野鳥の会・卓上カレンダーより)。

 

 

 

 

壁のカレンダーには、佐藤優「再編される世界秩序」 十五夜 平博・最新天文学講座・超拡大版「総括・カッシーニ」  寒露 平博・星を見に行こう! 体育の日 霜降 平博・星を見る会「月面Xは見えるか」  カエデ紅葉(函館)などの文字が記されています。

 

 

 

 

 

【今月の有元利夫】 

 

 

 

 

 

               秋の風 65.2 × 53.0cm    1977年

       ( 有元利夫カレンダー2017 新潮社より )

 

 

 

p.s.,

i 今回は桜木町でありますが、どんな話しが飛び出して来るのやら … 詳細は後日、ここへアップします!(たぶん 最近、打ち込みがちょっとしんどくなってきたんよ! でもがんばるけんね!)。勿論、帰り道はコオロギさんと with 赤ちょうちんであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ii 向田邦子。このひとのイメージは、「質実剛健」であります。ただ今、こちらをちょこちょこと読んでいますが、それにしてもこのタイトルが未だにさみしくなってきます … だって、「 向田邦子対談集 」でなく「 向田邦子全対談 」と来られちゃ … まぁ、仕方ないですが。天に召された日から半年後?渋谷で追悼の写真展がありましたが … たくさんの写真と、当日、寄せられた多くの追悼文を読みながら、ぽろぽろと涙が止まらなかったのを覚えています。今でもときどき思い出したりしています。あの日から36年の月日がながれました。

合掌

 

 

 

向田邦子全対談

向田邦子

文春文庫 1985年12月25日 第1刷、2013年12月5日 第15刷

 

 

 

 

 

 

 

著者紹介 …

向田邦子(むこうだ・くにこ)

昭和4(1929)年東京生まれ。実践女子専門学校国語科卒業。映画雑誌編集記者を経て放送作家になりラジオ・テレビで活躍。代表作に「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」等がある。55年に初めての短編小説「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で第83回直木賞を受賞し作家活動に入ったが、56年8月航空機事故で急逝。著書に「父の詫び状」「「無名仮名人名簿」「霊長類ヒト科動物図鑑」「眠る盃」「想い出トランプ」「あ・うん」他多数。(本書より)

 

 

 

 

こちらが目次です …

 

目次

( 対談せざるの弁 山口瞳 )

        小野田勇

        水上勉

        江國滋

        小田島雄志

        谷川俊太郎

        山藤章二

        吉行淳之介

        二子山勝治

        竹脇無我

        中川一政

        澤地久枝

        倉本聰

        鴨下信一

        阿川弘之

        和田誠

        矢口純

        矢崎泰久

この対談集について 吉行淳之介

 

 ちょっと、この吉行の話しをご紹介しましょう。

 

 

この対談集について 吉行淳之介

 

 向田邦子さんとの初対面は、『家庭画報』の対談である。その内容については、ここに収録されたものを読んでいただきたいが、意表外の発想が二、三あって、その角度が新鮮でハッとおもった。「はたらく自動車」という玩具について、私が熱心に話しはじめると、向田さんの顔がしだいに幼くなっていって、しまいには一年二組の邦子チャンみたいになった。

 そのことが強く印象に残っていたので、『家庭画報』編集部のEさんに偶然会ったとき、「向田邦子さんの対談集が出ないようだけど、出したら」と言った。あの不慮の死から半年ほど後のことである。

 そのあと、いろいろの経緯があったようだが、よく知らない。「余計なことを言った」と、いささか悔んだときもあった。

 私のしたことは、本のタイトル、体裁、座談会を除く全対談を年代順に並べること、装幀を風間完さんに依頼するようにしたこと、そのくらいのものである。また、向田邦子ファンを自認する人物が多いので、対談者それぞれに短いコメントを依頼すること、それに「向田邦子は戦友であった」という山口瞳さんに、「まえがき」を依頼するプランを出した。

 

 向田邦子さんに会ったのは三回だけだが、そのときどきに想い出がある。そういう思いを残させる稀なひとだった。以上、この本の出来上がるプロセスを書いた。「監修者」として名前を出してくれ、と版元に言われたが、それは任ではないので断ったことを、付記しておく。

 

 

 

ではでは。

 

今日も最後までお付合いくださいまして、ありがとうございました。

車の運転は、どうか安全第一でお願いします。

 

 

 

( 2017.8.24 ) 久しぶりに上野の森を歩きました。

  • 2017.09.19 Tuesday
  • 20:49

 

こんにちは

 

早いですね、吹き来る風がすっかり秋らしくなりました。

 

お元気ですか?

 

ここでいきなりですがクイズです!

問題! こちらはいったい何処でしょうか?  

ちょっとこの一枚きりでは無理かな 〜 。

はぃ? 上野の森とくれば美術館とか博物館だろ! って … ちと違いますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒント !  ここは四ツ谷駅に近いです。そして、それがしには日常的にまるっきり縁がない! そう断言できるところではあります( あっ、稀に縁があるお方もいらっしゃるかもしれません ?! )… つい最近、イギリスのメイ首相が … 。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は … 「 迎賓館 」です。

 

 上野から四谷までバスで移動しましたが、まぁ、この迎賓館、いろいろとナントカの部屋とか間とかを見て廻りましたが、「 和 」の印象は微塵もなく? そこはまさしく「 Euro. 」の世界でしたが、意外と各部屋(間)はさほど広くは感じませんでした。しかし、なんといっても内装の豪華なこと。壁とか柱とか、特に目をひいたのは天井とシャンデリアでしたが、あちらこちら手を触れると叱られるような恐怖に慄きながら見て廻りました(笑) 

 

まぁ、細かいところはとうに忘れていますが。どこもかしこも装飾がこれでもかこれでもか!ってな印象でした。徹底的な手作り感覚?というか! でもその豪華さが派手じゃなく少しも嫌味になっていなかったです … 素直に上品な極上空間でありました(それがしにはそう感じましたが)… そこはすべてが異次元の世界でありました。

 

この日はコオロギさんとJTBの日帰りツアーでした。国立西洋美術館(アルチンボルド展が 9/24sun. まで開催中でしたが興味無しでパスです) 〜 迎賓館 〜 都庁(展望台こちらもパス)と巡るものでしたが、参加者は大勢さんいらっしゃいました。

総勢、バス3台で120人ほど意外と多くてびっくりでした。迎賓館、人気あるんですね ! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、この外壁の質感がいいですね。花崗岩ですか? ちょっと感動ものでした … 控えめで清楚な感じにあふれた表情はどこかしら誇らしげで、正しく「 迎賓館 」そのものでありました。木造もいいけど、こうした石造りもいいですね! 個人的には「 石造りに 」感動する機会はあまりない?みたいですが … よく木の温もりとかいいますが、こちらは石の温もりとでもいいたくなりました。あっ、忘れてはいけません!ピリっとした隠し味のこの大きな樹も、キに入っています!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見てください、この立派な建物と前庭の広さに圧倒されました!

ほんと気持ちよかったです。

 

この青い空と花崗岩の白い外壁のコントラストがほんと素晴らしかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

                                    苔が生えてる!

 

 

 

 

 

この広々とした石畳ってなんだか巨大な年輪を思わせますね( はい、年輪には付き物の苔?までこうしてきちんと生えているのだ! … )、石畳って好きです。この場にゆっくりと寝そべって、石畳にそっと耳をあてると明治という遠い時代の懐かしい喧騒が、今にも聞こえてきそうでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、ここからは、「 国立西洋美術館 」であります。

残念ながら時間に余裕がなくて、勝手気ままにザックリと見て廻りました。

 

ここで気に入った作品をちょっとご紹介しましょう。今はカメラOKなんですね、知らんかった!(ただし常設展のみ! そして一部の作品はNGですが)この日は、らくスマで撮ったので、当然、ピンは無しです!

どうか、ご容赦のほど … EOSは重てぇ !!! ( ..m.(__).m.. )

 

 

 

 

 

 

 

                                

 

 

                                                  ルーヴシエンヌの風景 1873年

                                                  アルフレッド・シスレー

                                                     

 

 

 

 

 

 

 

遠景にあるのは大聖堂の尖塔ですかね?

いいね!

あっ、なにやら立ち話をしているような人影が、こちらの二人連れは散歩の途中でありましょうか? いいえ、散歩ではなくて巡礼者が道を尋ねているとか … ?! こうして一点をじ〜っと見入っていると意識がぼーっとしてきます。それでなくても浅いフォーカスのなかで、だんだんと意識がうすれてきて・・・つい眼をこすりたくなってくるのは、それがしだけでありましょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                 

 

 

                    羊の剃毛 1883-84年

                  ジョヴァンニ・セガンティー二

                                               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごらんください、柵の向こうから、ほんと心配そうに見守る仲間たちの優しい姿がいいね! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                           

 

                                            

                   ばら 1890年

             フィンセント・ファン・ゴッホ 

                                     

 

 

 

 

 

 

 

今にも「 今朝、仕上げたばかりなんだ!」とつぶやく、ゴッホの声が聞こえてきそうでした。たくさんの緑色が光り輝いていてほんと綺麗でした。ゴッホが薔薇をこんなにも明るく描いていたことに素直に驚きました! いったい緑だけで何色あるんだろう ? … こちらはほんと必見です !!!

 

 

ゴッホは印象派や日本の浮世絵などの影響を受け、独自の表現主義的な色彩表現を発達させました。1888年末、画家は南仏アルルにゴーガンを呼び寄せ共同生活を始めますが、やがて精神病の発作に襲われます。この作品は、翌1889年に入院したサン=レミの精神療養院に咲くばらを描いたものです。最晩年の作品に特徴的な、激しく、うねるような筆づかいがすでに認められます。多くの作品を手掛け、1890年、ゴッホは自ら命を絶ちました。(出展:展示室作品解説パネル)〜 国立西洋美術館・所蔵作品検索サイト より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                              

 

 

                モーツァルト 1943年

                    ラウル・デュフィ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                  

 

 

                                                  町役場 1920年

                                               モーリス・ド・ヴラマンク

                                               

 

 

 

 

 

 

 

ブラマンクとくれば佐伯祐三ですね、懐かしい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                    

 

 

                                     レ・サーブル・ドロンヌ 1921年

                ピエール=アルベール・マルケ

                               

 

 

 

 

 

 

 

マルケ! 好きです。 

ちょっと目をつぶると、少し風が吹いてきて波の音が幽か〜に聞こえてきました。

マルケはいつだってやさしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                

                    夏目漱石とクラシック音楽

                                            東京文化会館のロビーにて

 

 

 

 

 

 

 

 

  昔から漱石には上野の森がよく似合う。

  ところで「 漱石が上野で聴いたハイカラの音楽会 」行きたかったのに 〜 !!!  

  このポスター、持って帰りたくなりました(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p.s.,

今さらですが、やっぱりEOSで撮るんだった!… ほんと反省しています。

ゴッホとマルケに逢えてよかったです!

 

 

ではでは。

 

 

今日も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

車の運転は、どうか安全第一でお願いします。

 

 

 

 

2017年9月1日 さよなら夏の日 〜 今日から長月です

  • 2017.09.01 Friday
  • 00:00

 

こんにちは

 

朝一番の水が冷たかったです。

はい、秋がそこまでやってきたようであります。

さよなら夏の日、うれしいやらさみしいやら。

 

お元気ですか?

 

 

 

 

 

ツルシギ 全長 32.5cm 撮影者:石田光史 撮影地:茨木県稲敷市

嘴が細長い中型のシギ類で、水田や蓮田などに渡来する旅鳥です。春と秋の渡りの時期に姿を見せますが、秋は写真のような幼鳥の姿をよく見かける季節です。嘴も足も長いため、シギ類としては比較的水深のある沼や池などでも採餌することができ、水底の貝類や甲殻類、水生昆虫などを捕食します。なお、春に見かける夏羽では見違えるような黒い色になっています(日本野鳥の会・卓上カレンダーより)。

 

 

 

 

壁のカレンダーには、二百十日 白露 敬老の日 動物愛護週間 彼岸 秋分の日 一葉・朗読会 もみじ坂星空教室・月齢10の月とアルビレオ Oct.1 佐藤優講演会・桜木町・再編される世界秩序 などの文字が記されています。

 

 

 

 

 

【今月の有元利夫】

 

 

 

 

 

ゲームの愉しみ                                                   53.0 × 45.5cm  1976年

 

… 有元利夫カレンダー2017 新潮社より

 

 

 

p.s.,

i 大型ハリケーン、ハービー(Harvey) ⇦ newsweekjapan がテキサス南部を直

  撃・・・ … それでもトランプは地球温暖化を否定するのか !!??

 

ii   いまこちら、ぼちぼちと読んでいます … 。

  

 

「物書きのたしなみ」

  吉行淳之介

 

 

 

 

本書は1988年5月に有楽出版社より刊行した「吉行淳之介 自家謹製 小説読本」を改訂

改題したものです。

 

こちらが目次です。

 

 

目次

 

小説の書き方

 

  利休鼠の雨

「祭礼の日」から三十年

  メモの切れ端

「皿の苺」と入れ歯

  野間賞受賞の挨拶

  ダダ雑感

  身辺雑記

  軀

  私の文章修業

  石膏色と赤

  綴方ついて

  ある種の晩年意識

  童謡と私

  作品と制作プロセス

  私の書きたい女

  文学を志す

  偶然について

  ある作品

  ある設定

  小説の処方箋

 

 

小説の鑑賞法

 

  幾つかの「一冊の本」

「濹東綺譚」を読む

  森茉莉「薔薇くい姫」など

  田中小実昌氏を推す(第十五回谷崎賞選評)

  色川武大『怪しい来客簿』推薦

  深夜の妄想

「死の棘」を読む

  好きな詩

「瘋癲老人日記」を読む

  小川国夫氏のこと

「狂才」筒井康隆

「陰翳礼讃」を読む

  テリエ館

「世紀末」と「明治人間」

  川端康成の「みずうみ」

『てろてろ』をめぐって

「つゆのあとさき」雑感

  永井龍男の文章

「老茄子」「裾野」を読む

  柴田錬三郎『桜田門』『さかだち』評

  営業方針について 

 

  あとがき ─── この本の読み方 山本容郎(本書編者)

 

 

 

吉行淳之介(よしゆき じゅんのすけ)

1924年4月13日 〜 1994年7月26日。岡山市生まれ。1954年、「驟雨」で芥川賞を受賞。著書は『砂の上の植物群』(1964年)、『暗室』(1970年)、『鞄の中身』(1974年)、『夕暮まで』(1978年)など多数。対談やエッセイの名手としても有名。女優の吉行和子、詩人・作家の吉行理恵は妹(本書より)。

 

 

 

 

ではでは。

 

今日も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

車の運転は、どうか安全第一でお願いします!

 

 

 

 

2017年8月6日 広島 原爆の日 〜 被爆から72年です

  • 2017.08.06 Sunday
  • 08:15

 

こんにちは

 

今年も、そのときは静かにやってきました。

2017年8月6日 午前8時15分、広島は被爆から72年です。

今年も平和記念公園には行けませんが、

こころから犠牲になられた方のご冥福を祈ります。

合掌

 

 

 

 

 

こちらは 2010年8月14日 の平和記念公園です。

 

 

 

 

 

2017.8.1 夏の夜の一葉は、哀しからずや

  • 2017.08.01 Tuesday
  • 19:31

 

こんにちは

 

はい、いきなりパクってしまいました。

失礼しました。

 

 

夏の夜の博覧会は、哀しからずや

雨ちよと降りて、やがてあがりぬ

・・・      中原中也

 

 

 

最近、まとまった雨が降っていないような? そんな気がしていますが、夏本番になってからの水不足が心配ですね … てなこと言っていたら、本日(8/1)こちらは大雨でありますが・・・。


お元気ですか?

 

 先月のこと、某BS(NHKBS 2017Jun16?)にて「プレミアムカフェ選 恋する一葉 平成の女子大生がたどる明治の青春」と題された樋口一葉の特番が放送されていました。その番組を見たあと、せつない思いでいっぱいとなり、偉く心酔してしまいました。それにしても樋口一葉、24歳の生涯とは早すぎる! … こんなにも早かったんですね、知りませんでした。

合掌

 

 

 

 いろいろと、ほんとうの樋口一葉を知ってというか、そのほとんどを知らなかった!と言うべきか? これまでの自分が恥ずかしくなりました。実はそれがしには昔からですが、たけくらべ、うつせみ、にごりえなどのタイトルから受けるイメージが、ちょっと「わらべうた」「文部省唱歌」みたいに響いていました。そして、「童謡作家? 児童文学?… 」なんて、もうこの時代に存在していたの? みたいに思っていました … とにかく昔からこんな印象しかありませんでした。

 

また、ストーリーについても「よい子のみなさん、こんにちは!」みたいな調子で、そこそこに明るさをもってはいるけど、不自然なまでにそこに「わるい子」は存在しません! きっと文学の世界からは飛び出しているんだろうなと思っていました。 また、日常的にそれがしのなかではどことな〜く与謝野晶子と混同していたふしもありました。何故に与謝野晶子なのかは不明です。そんなこんなで身勝手な結論しか抱いてなかったようです … なんか言い訳になってしまいましたが仕方ないですね。そんな訳で、この歳になるまで一葉の作品は一度も読んだことはありませんでした(たぶん少しくらいは読んでいるけど忘れてしまっているのかも知れません)。

 

 

さて、ここで樋口一葉の歩みを少し確認しておきたいと思います。きょうは本書「樋口一葉小説集(筑摩書房)編者・菅聡子」にあります 菅聡子氏 の解説を、一部ではありますがご紹介します … 尚、菅聡子氏は、6年前の2011年5月14日 さいたま市の病院で死去されています。48歳。

合掌

 

 

 

 樋口一葉は、明治五年(1872)三月二十五日(太陽暦では五月二日)、樋口則義・たきの次女として東京に生まれた。本名は奈津、ほかに夏子・なつ等の署名がある。幼い頃から読書に夢中になり、学問を好んだが、「女子に学問はいらない」という母親の反対によって女学校へ進むことはできず、青海学校小学高等科第四級卒業をもって一葉の学校教育は終わった。

 

しかし、娘の学問好きを愛した父親は、一葉を中島歌子の主宰する和歌の塾・萩の舎へ入門させてくれた。当時、和歌は女性のたしなみの一つとされていたのである。このとき、一葉は十四歳。この萩の舎入門が、一葉の文学者としての第一歩であったと言える。一葉入門当時は萩の舎の全盛期にあたり、門人には梨本宮妃・鍋島侯爵夫人・前田侯爵夫人といった人々が名を連ねていた。そのなかにあって、決して富裕とはいえない一葉は、たとえば着る物ひとつをとっても肩身の狭い思いをすることも多かったが、徐々に和歌で才能を発揮し、発会では一番をとることも少なくなかった。

 

一葉の人生にとって大きな転機となったのは父・則義の死であった。一葉には二人の兄があった。長兄・泉太郎は生来病弱であったが、樋口家の家督を相続してまもなく二十三歳の若さで亡くなった。この時点で、次男・虎之助は樋口家の籍を離れ、また長姉・ふじもすでに他家に嫁いでいたので、次女である一葉が相続戸主となったが、実質的には書類上は後見人となっていた父・則義がその役割をつとめていた。しかし、泉太郎の死、事業の失敗などが重なり、則義は失意のうちに病没した。このとき、一葉は実質的にも樋口家の戸主・家長となったのである。

 

以後、母・たきと妹・邦子の生活の責任はすべて一葉の肩にかかることになる。明治二十二年、一葉、十七歳のときである。とは言え、収入の道はなく、洗濯や仕立物で生計をたてるしかなかった。貧困がつのるなか、一葉は小説を書いて生活費を得ることを決意したものと思われる。

 

 

 明治二十四年、「東京朝日新聞」の小説記者・半井桃水に小説の師として指導を受けることを願い出、翌二十五年三月、桃水が創刊した雑誌「武蔵野」に第一作「闇桜」を発表した。以後、数編の作品を書き続けるが、世評にのぼることもなく、一方で一家の生活はますます困窮していった。糊口のための文学に疑問を抱き始めていた一葉は、金銭のための執筆を放棄し、商売を始めることを決意する。明治二十六年七月、一家は下谷竜泉寺町に転居し、子ども相手の小さな雑貨屋を開いた。吉原遊郭周辺の町であるここで、一葉ははじめて社会の最下層を生きる人々や身を売る女性たちの生活を目の当たりにした。竜泉寺町への転居は、一葉の意識においては明らかな零落であったが、この町での生活が、一葉の明治社会に対する認識を深め、後の名作の数々を生み出すことになる。

 

明治二十七年、店をたたみ、再び本郷丸山福山町に転居した一葉は、その文学上の充実期を迎える。『大つごもり』『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』といった作品が発表され、一葉は同時代文壇においてもっとも注目される女性作家となった。しかし、一葉は、そのような世間の評判の背景には、自分の女性という性に対する好奇心があることに気づいていた。作家として注目されればされるほど、世間の関心は自らの〈女〉に集中する。女性であることと〈書くこと〉の矛盾・交錯に苦悩しつつ、一葉はさらなる〈書くこと〉を模索していたに違いない。しかし結核に冒されたその身はそれを許さなかった。明治二十九年十一月二十三日、一葉はわずか二十四歳でその生涯を閉じた。

 

 思えば、樋口一葉が生き、書いたのは今からほぼ百年以上も前のことである。にもかかわらず、一葉の文学は、現代にも通じるさまざまな社会矛盾や、女性たちに対する抑圧を描き出して余すところがない。彼女の視線は、階級や性別をこえて、明治社会の弱者として周縁に追いやられた人々の生をすくい上げた。同時に、その視線は女性作家としての自分自身へも向けられた。女性が〈ものを書く〉とはいったい何を意味するのだろうか。それは、どのような可能性を開きうるのだろうか。

 

一葉の文学が投げかける言葉を、現代を生きる読者として受け止め、私たちの〈いま〉を照らし出すよすがとしたい。本書が、そのようなきっかけとなることを心より願う 〜 「樋口一葉小説集」編者・菅聡子(筑摩書房)菅聡子氏の解説より(抜粋)。

 

 

 

 

さて、本題に入ります。

今では人生の師と仰ぐ存在となった樋口一葉ですが、それがし、正直、この歳になってほんと遅ればせながら「一葉ワールド」に参加できてうれしいです。きょうは一葉の壮絶な人生の話しです。ほんのひとかけらですが、よかったらお付き合いください。

 

                

 

        

                   

            この日、台東区立一葉記念館にて購入した絵葉書(一葉・肖像)

                   

 

                             樋口一葉

 

 

 きょうはこの6月に再放送された、NHKBS?の「プレミアムカフェ選 樋口一葉・恋する一葉」をベースにしてお送りします。余談ですが当番組でのナレーションと音楽がうまくアンサンブルされていてよかったです。番組後半になっていきなり「22歳、一葉は店をたたんで竜泉寺町を離れ・・・」とナレーションが響き渡りました … 番組は全体で120分間?でした。正直、ラスト30分ほどがよかったですが … このとき残りが20分ほどでした。やっとのこと物語はその核心に向って動き出しました … 思いなしかこの瞬間、ナレーションが大きく響いて、いっそう真剣味をおびてきたように感じました。

 

 

22歳、一葉は店をたたんで竜泉寺町を離れ本郷に近い丸山福山町に移り住む。この時期、一葉は矢継ぎ早に作品を発表した(1896(明治27)年5月1日 本郷区(現・文京区)丸山福山町に転居 22歳)

 

 

 大つごもり 

 たけくらべ 

 にごりえ 

 十三夜 

  

 

 

一葉の代表作のすべては僅か14カ月の間に書かれている。

そのとき一葉は自分が結核を患っていることに気付いていた。

 

 

(一葉)

  文学は孤高のためになすべきものならず

  思いのはするまま心の趣くままにこそ筆はとらね

 

  文学は生活の糧を得るためにするものではない

  思いのはせるまま 心の趣くままに書くべきなのだ

 

 

 

続けざまに話題作を発表し、一葉の存在は文壇に広く知られることになった。暮しは楽にならなかったが家には文学を語る青年たちの出入りが絶えなかった。それは一葉を女主人とする文藝サロンといえた。

しかし、それでも一葉は満たされぬものを感じていた。

 

(一葉)

 われを問うひと、10人に9人まではただおなごなりというを喜びて物珍しさに集うなりけり。今清小よ紫よとはやしたつる。誠は心なしの如何なる底意ありてとも知らず、我をただおなごとばかり見るよりも荒ぶ

 

 日記・1896(明治29)年5月

 

 

清少納言よ紫式部よとおだてる

私が何を考えているかも知らず

心ない人たちが

ただ女ということだけで

面白がっている

 

 

 

( 斎藤緑雨 現る!)

 

 

秋の夜の月にふかししうたた寝は・・・

 

斎藤緑雨

 

 

 

 

            

 

               NHKBS プレミアムカフェ選 2017Jun16?より

 

 

                              斎藤緑雨

     

 

 

 

右下がりの特徴ある筆跡で書き連ねてあるのは恋を歌った短歌。筆を執ったのは明治の文学者、斎藤緑雨。晩年の一葉にもっとも深く関わり彼女の死後、全集をまとめた人物である。森鴎外、幸田露伴と共に辛口の文芸批評をしたことで知られている。文壇で一番嫌われ者で毒舌家であった。

一葉は緑雨の第一印象を日記に記している。

 

(一葉)

  歳は29、痩せ姿の面容凄みをおびて、ただ口元に言い難き愛嬌あり。

 

 

一葉の周囲はみな口をそろえて、緑雨は信用ならない毒舌家だから気をつけろと警告していた。会ってみると確かに今までの男とは違っていた。緑雨は言った、

 

(緑雨)

  とひかれ等がほめ候ともくさし候とも、一向、眼にも耳にも入れ給はぬがよろしく、ただ君が思ふ所にまかせて、め〇〇共me〇〇〇〇-domoに構はず、マツすぐに進まれん事をわれは希望致候。

 

  1896(明治29)年1月8日付 斎藤緑雨、一葉宛書簡

 

 

たとえ、彼らが褒めようとも悪口を言おうとも、決して気になさらないのがよいでしょう。ひたすらあなたが思う通りに、物事の良し悪しの区別もつかない者たちにはかまわず、まっすぐにお進みなられることを私は希望致します。

 

 

 

さらにあなたの作品は、

 

(緑雨)

  泣きての後の冷笑(あざわらい)の気持ちで書かれている

 

と評した。

 

 

 

一葉は初めて緑雨に出会った日に、

 

(一葉)

  この男かたきに取りてもいとおもしろし。味方につきなば猶さらにをかしかるべく

 

この男、敵になっても面白いだろう。でも味方になったなら、なおのこと面白いかもしれない

 

「みづの上 日記」1896(明治29)年5月29日

 

と書きつけた一葉。

 

 

 

 

(一葉)

   逢へるはたゞの二度なれど

   親しみは千年の馴染(なじみ)にも似たり 

 

   日記・1896(明治29)年5月30日

 

  それがしこの言葉、この心根にひとめぼれでありました。

 

  さらにナレーションは 一層の緊張感を放ちながら深く静かに流れます。

  結核を患い、死を目前にした一葉の恋歌、

 

 

(一葉)

  隔一夜恋

 

  あひみぬはひと夜ばかりをくれ竹の

  ふしのまどほにおもほゆるかな

 

 

ここでちょっと余談ですが … 

 

先日、この歌について意味がよく理解できなかったので Yahoo! 知恵袋 (直接、見たい方はクリックしてください)へ投稿して、回答をいただきました!(ありがとうございました!)

それで、この歌の意味するところは、

 

お逢いできない一夜は、竹の節と節の間が離れているように、とても長く離れているように思えます。ひとよ、のよには竹の節の間、という意味があります。ここでは竹の縁語として出しています。例としては、短い尺八(というか、竹の縦笛)をひとよぎりというのは、ひと節の長さの竹で作るからです。

これは、題詠のようですね。半井桃水とは一夜も離れないような関係ではなかったのではないかと思います。

 

このような回答をいただきました。なんとも一葉の切ない気持ちがひしひしと伝ってきますが … 切ないねぇ〜。

しかし、Yahoo! 知恵袋 ってほんと助かりますね!(そうとは思われないものも、ハッキリ言ってあるにはありますが、個人的には「なんでもあり!」これでよしと思っていますが、まぁ、ひとそれぞれでありましょう。)

 

 

また、他の質問に対しては、このような解説もありました。

… いずれにしてもお蔭さまでスッキリと晴れました!

 

「あいみぬは ひと夜ばかりを」会わないのは一晩だけなのに

「くれ竹のふしの」呉竹(淡竹)の節のように

「まどほにおもほゆるかな」会わない間が遠く感じられることだなあ。

「まどほ」は「間遠」。節と節の間と会わない間とを掛けた。

 

こちらも直接、見たい方は、Yahoo!知恵袋 こちらをクリックしてください。

 

 

 

               

 

                          

 

                 NHKBS プレミアムカフェ選 2017Jun16?より

 

 

 

 

樋口一葉が10年間書き続けた日記の最後に記したのは、緑雨のことだった。

 

(一葉)

  此の男が心中

  いさゝか解さぬ我にもあらず

  何かは 今更の世評沙汰

 

  日記・明治29年7月22日

 

この男の心中が

理解できない私ではない

どうして今さら世間の評判を

気にする事があろうか

 

ここで特番は終わりました。

 

 

 

 

 

先日のこと、特番のショックも冷めやらぬ暑い日でした。

台東区立、一葉記念館 へ行ってきました。

 

 其処にはたくさんの資料がありましたが、なかでも一葉の手紙(毛筆)がほんと綺麗でした。それはもう、一点の絵画のようでありました … しかしながら、残念至極!読めませんでした、そして当然のことですが意味が意味が分からない!たかが150年前?の手紙が読めない!日本人なのに日本語が読めない、分からない!(だいじょうぶか ?! 熱中症か? あっ、スズメバチか?)なんでやねん!(あのときのダルビッシュみたいに…)… 自分の不勉強を棚にあげて、それがし思いました、な、なんでここに訳文がないの !!! … はい、我儘もこの辺りで止めとこ。気を取り直して?あとは静かに見て回りました!(あっ、手紙によっては、きちんとその概略を記したものも、いくつかありましたので念のため … 記念館のご尽力に感謝です)

頓首

 

         

 

 

↑ 日比谷線の三ノ輪駅から徒歩で10分ほどでした( 一葉記念館サイトへ飛びます! )

 

 

 

 

                          

 

        あっ、 「一葉記念館」 の正しい住所は、竜泉3丁目18番4号です!

 

 

 

 

       この日の記念品は、冒頭の絵葉書とこちらの二点でした!

 

               樋口一葉

               筑摩書房

                                                                                                                          

 

              

     

    

      こちらが目次です、

 

  たけくらべ

   にごりえ

   大つごもり

   十三夜

     

     ゆく雲

     わかれ道

     われから

 

     雪の日

     琴の音

     闇桜

     うもれ木

     暁月夜(あかつきづくよ)

     やみ夜

     うつせみ

 

     あきあわせ

     すずろごと

 

     にっ記1

     塵の中

 

     恋歌九首

 

一葉の財産(井上ひさし)

 

     年譜

 

 

 

* こちらの話しがちょっとズシリときましたので全文をご紹介します。まったくの余談ですが、井上氏の作品は今まで特に興味がなかったので一度も読んだことはありませんでした。

 

 

一葉の財産                         井上ひさし

 

 その女(ひと)は近眼である。それもよほど近くに寄らなければ相手が誰だかも判らないぐらいひどい。外出するときは二つ違いの妹を伴い脇からたえず街の様子を教えてもらっていた。月夜の晩は人に手を引かれて歩いた。月夜だとなまじ少しは見えるから、かえって水ッ溜まりに落ちたりして危ないのである。歌がるたを取るときは、畳の上のカルタに噛みつくように目を近づけているので、彼女の頭が邪魔になり他の人たちが取りにくくなる。そこで歌がるたのたびに女友達から「眼鏡をかけてちょうだい」と文句を言われた。

 

近眼の女性の常で瞳はいつもキラキラと朝露のように輝いている。一重瞼の目元にぱらぱらとそばかすが散っていた。口もとはきゅっと締まって小さく、その口から調子の高いきれいな声で江戸弁が飛び出す。言葉使いは明晰だ。口の利きようは四通りあって、少し隔てのある女性にはお世辞がよくて、待合いのおかみさんのように人を逸らさず客待遇が上手である。人に擦り寄るようにしてものを言い、ときおり万事について皮肉な寸評を発して相手を笑わせるのが得意だった。笑うときは「ほ、ほ、ほ、ほ」と声を区切った。親身の女性には快活にしかし行儀よく喋り、他人の悪口は決して言わない。勝気なくせによく泣いた。尊敬する男性の前に出ると、ものやさしく、哀れっぽく、恥ずかしそうにし、そうでもない男性には突然、天下国家を論じたりして煙にまいた。

 

髪の毛はとても薄く、おまけに赤茶けている。その薄い髪(け)の前髪を小さく取って銀杏返しに結い、いつもきれいに梳き付けていた。肩こりがひどかった。背中がいつもごつごつと石のようで、よく文鎮で力まかせに肩を叩いていた。命取りの結核が進むにつれてこの肩こりが嘘のように消えて行った。

 

歌塾「萩の舎」(はぎのや)では、しばしば師匠の代稽古を務めた。教場は十二畳の座敷、表に俥を待たせた名門の姫君令嬢たちが紫の矢筈や黄八丈、お召しや糸織などその頃としては立派な身なりで、色とりどりの座布団に座っている。その前で彼女は源氏物語や枕草子の講義をした。普段は鼻筋の通った瓜実顔にまるで白粉気もなく過ごしているのだが、講義のときは小さな口にちょいと紅を引き、一張羅の真青な紬の羽織を着た。両手を袖口にすっぽり引っ込めて、その手を胸元できちんと掻き合わせ、いくらか前かがみになって講義を進めた。退屈しながら講義をしているときは髪の毛の一二本ほつれたのを眼の先でいじり、それを見つめながら「只今の言葉で申し上げれば、まあこうでもございましょうか」などとやっていた。が、熱が入ってくると、肩のあたりをぴくぴく震わせながら澄んだ声をさらに高くした……。

 

二十四歳六ヶ月の短い生涯のあいだに二十二の短編と四十数冊に及ぶ日記と四千首をこえる和歌の詠草をのこした樋口一葉の肖像を、彼女と実際に交際のあった人たちの証言を集めて忠実に再現すれば右のようになるだろう。

 

中に歌塾「萩の舎」というのが出てきたが、これは水戸藩士未亡人の中島歌子が小石川の安藤坂に開いていた私塾で、後世の研究科はこれを指して「明治の宮廷サロン」と称した。試しに門下生の名簿を調べてみると、たしかに権門の令嬢令閨がずらりと並んでいる。旧佐賀藩主鍋島家夫人とその令嬢、旧上総喜久間藩主水野家のお嬢さん、旧越後高田藩主榊原家のお姫様、旧肥前唐津藩主の妹御、もと元老院議官田辺太一の娘など、石を投げれば爵位もちの夫人や令嬢にあたるという具合だ。平民の娘たちもいないではないがいずれも家は金持だ。一例を上げれば一葉の親友だった伊藤夏子は日本橋の鳥問屋「東国屋」の娘である。しかも中島歌子は加賀前田家や佐賀鍋島家へ出稽古に赴くが、そこには皇后がお出ましになっていることも多い。「明治の宮廷サロン」は誇張ではなかった。

 

書店の書架に並ぶ一葉の評伝にはたいてい萩の舎の発会の記念写真が掲載されているが、一度その写真を念入りにお眺めになることをお薦めしたい。例えば明治二十年二月の発会記念写真では師匠の中島歌子は二列目に立っている。明治二十四年のそれでは三列目にいる。普通は最前列の真ん中がお師匠さんの指定席のはずだが、萩の舎の場合はお師匠さんが後ろに下がっているのである。つまり中島歌子は教え子に遠慮しているわけだ。それだけ教え子の身分が高いのである。

 

では当の一葉はどうか。士族の娘とは言うものの、その父は「生まれ故郷の甲州中萩原村を妻のあやめとともに出奔し、藩書調所の小使をふりだしに八丁堀同心に成り上った、いわば農民の身分を自ら否定した流民」(前田愛)だった。しかもその父を失ってからは戸主に祭り上げられ、一家の命運を担って世間の荒波に揉まれることになる。肩も凝るはずだ。初めは売り食い、次いで小説で生活の糧を得ようとするがそれも成らず、とうとう吉原近くの貧民街龍泉寺町で「乞食相手の荒物屋」(一葉)を開くことになる。一家の一月の生活費は十円前後、それなのに店の売り上げは月十五円、仕入れ代を勘定に入れればまったくの赤字である。この赤字を借金で埋め、その借金をまた新しい借金で返すという無謀な離れ業の毎日、挙句の果ては「銘酒屋」という最下層の私娼窟の集まる新開地の湿った家を借りて、界隈の躰をひさぐ無筆の女たちのために客寄せの恋文を代筆するところまで身を落とす。後世の読者は、この一葉の年譜を見て「あの天才作家がかわいそうに」と涙を流すが、じつはこれがよかったのである。

 

一葉は明治の女の最上層から最下層までを知っていた。つまり「一葉は垣間見ではあるけれども明治のトップを知っている。それから明治のいちばんどん底のところも知っている」(前田愛)わけで、これが一葉の財産になった。いや、知っていたというのもあるいは正確ではないかもしれない。前田愛さんの指摘によりかかってもう一押しすれば彼女は最上層と最下層の女を同時に生きていたのである。女たちの喜びや悲しみを描くのにこれほどよい位置につけていた作家を他に知らない。もちろん一葉の文学の特色はこれだけではない。和文というものが消滅する寸前に、それまでに現れた和文のすべてを総括(オーケストレート)するというチャンスに恵まれたこと、あるいは生きているうちから自分に戒名をつけて「死者の目」からこの世を見ていたことなど、彼女の文学を解明する鍵はいくつもあるが、ここでは一葉が明治の女性の全体を見はるかす位置に立っていたことを特記して解説に代えたい。もちろん自分が特別な位置に立っていることを直感し、その直感を充分に生かした彼女の巨きさにはやはり脱帽する外はないが 〜 「樋口一葉」筑摩書房 井上ひさし氏の解説(一葉の財産)より(全文)。

 

 

 

   

  

                  

    

 

   こちらは版が大きくて読みやすいです。今、読んでいる真っ最中なり … 。

 

 

 

              

 

 

 

                                    

 

ではでは。

 

以上ですが、きょうは(いつも?)ほんとダラダラとまとまりのない文章になってしまいました … どうかご容赦のほど。しかし、樋口一葉、ほんといろいろと苦労されたんですね! 返す返すも残念なことでした … 樋口一葉、ほんとに真っすぐに生き抜いたひとだ! と思います。もっともっと長生きして欲しかった。

合掌

 

 

… こんなこと言ったらやれ極論だ!言いすぎだ!と叩かれそうですが、今どきの作家たちはえらく楽ちんなことか! って、ふと思いました … 別に今の作家に恨みつらみはありませんが。この夏の終わりには、記念館再訪といきたいですね。そのときは憧れの都電荒川線(路面電車)に乗って行きます! のんびりと路面に揺られながら「早稲田発の一葉記念館行」です。

 

参考書籍は、「樋口一葉小説集」筑摩書房 「樋口一葉」筑摩書房 「樋口一葉」岩波書店 明治の文学第17巻樋口一葉」筑摩書房

 

 

 

p.s.,

i 冒頭、タイトルに「夏の夜の一葉は、哀しからずや」としましたが、結核という病魔に襲われてさぞ悔しかっただろうなと思います。今さらですが、あと半世紀?早くにストマイが発見されていれば … 。

合掌

 

ii   先日のこと、暑い暑い日に台東区竜泉にある 「一葉記念館」 に行って来ました。たくさんの資料を拝見したあとに来てよかったと思いました。ほんとよかったです … 受付の応対も丁寧でよかったです。また、行きたくなりました! 次回はのんびりと早稲田から路面電車(都電荒川線)で行こうと決めています。

 

iii   一葉の作品は「擬古文」と呼ぶんですか? … 少しづつですが慣れてきました!… ずいぶんと遠くにいってしまった明治時代の空気というか風にどことな〜く吹かれているようで、心地よく自然とうれしくなってきます … 同じように「注釈」も確かに面倒くさいけど、その時代を知る大切なツールと考えるとありがたいと感じます … それがし、この注釈は最初にページを繰ったときにザッと読んでから本文に入りますが、ひとそれぞれですね。

 

iv  この特番のラスト20分間をICレコーダーに録り、ウォークマンに転送、今、あのアジフライ定食(最近、生姜焼き定食もあり)のときに乗るJR車内で相も変わらずこっそりと聞いています … IC.Rec. は  aux で録ると一切の雑音は入らずにほんといい音ですよ。臨場感アップです!ヘッドホンの効果もあるとは思いますがリアルに役者の足音まで聞こえてきます( TVをみているときはまったく気がつかなかったですが )。

 

ではでは。

 

今日も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

車の運転は安全第一でお願いします。

 

 

 

 

2017年8月1日(火) 夏がやって来ました! 〜 今日から葉月です

  • 2017.08.01 Tuesday
  • 00:00

 

こんにちは

 

いきなりですが思いっ切り真夏を感じさせる、

真っ白な入道雲(今どきは積乱雲とか?)と真青な空が恋しい!

最近はず〜っと曇り空の毎日みたいで … でも、水不足が心配です。

 

お元気ですか?

 

今年も約束通りに? やって来ました、夏です、葉月です!

先日、久しぶりに暑いなか都内を歩きました。

 

お目当てはこちらでした!

 

 

 

それは、台東区立 一葉記念館 です。

 

 

 

 

 

 

 

ご覧のようにさっぱりとした展示室はよかったです。特に展示スペースのガラスの向こう側(壁)がとても近くて年寄りには見やすかった。展示されている絵や手紙などが一層のこと身近に感じられてうれしくなりました。なんでも広く、大きく造ればいいってもんじゃ、ありませんね 〜 !!!

 

はい、何故にいま、樋口一葉なのでしょうか?

近々、「夏の夜の一葉は、哀しからずや 」(パクりですが)… 明治という時代を疾風のごとく駆け抜けていった一葉の人生 … 切なさいっぱいの樋口一葉をアップしますので、お楽しみに! よろしくお願いします。

 

 

 

 

こちらは、なんと海水を飲む、アオバト!

 

 

アオバト 全長 33cm 撮影者: 大橋弘一 撮影地: 北海道寿都郡(すっつぐん)

雄も雌も緑色主体の姿をした美しいハト類です。雄は翼の一部が赤紫色で、ひときわ美しい配色です。九州以北のよく繁った広葉樹林で繁殖し、木の実などを食べますが、夏から秋にかけて群れで毎日のように海岸に現れ、海水を飲みます。この写真も海岸の岩場に現れた場面で、岩のくぼみに溜まった海水を飲んでいるところです。この珍しい習性は塩分やミネラル分の補給だと考えられています(日本野鳥の会・卓上カレンダーより)。

 

 

 

壁のカレンダーには、星を見る会・月と土星を見よう 広島・原爆の日(72回目) 立秋 山の日 日本新聞博物館・映画の中の横浜 処暑 などの文字が記されています。

 

 

 

 

 

 

【今月の有元利夫】

 

 

 

 

ガボット 53.0 × 45.5cm 1979年 ( 有元利夫 2017年版カレンダー・新潮社 より )

 

 

 

 

 

 

 

ガボット ( 1979年 )

 

 

 

 

 

 

p.s.,

i 前段にあります、日本新聞博物館は 「映画の中の横浜 〜 横浜で輝いたスターたち 〜 」と題したトークショーです。コオロギさん、ありがとう!… 赤ちょうちんが待っている!

 

ii 前段にて書きましたが、ただ今、「夏の夜の一葉・・・」をカキコ中であります、ファイナル・ラップです、苦手なS字をこなして最終コーナーを回って、ストレートが視界に入ってきました! 忙しいであります、喉が渇いています、お腹が空いてきたであります … こうして、先日、三時間ほど書き込んだあとに、あぁ 〜 !!!  少々霞んで見えていたタスクバー上のアイコン! クラッシュしました … 一葉の画面が一瞬で消えた!  正直、歳を年齢を強〜烈に感じました。幾日か前にも同じミスをおかしていたからガックリ! … 集中力が無くなって来た! 気をつけよう月夜の晩と霞んだアイコン ?! …… .m.(__).m.

 

 

ではでは。

 

今日もお暑いなか?最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

どうか、熱中症に気をつけてください!

マメに水分補給です!

 

それから、車の運転は安全第一でお願いします。

 

 

 

 

 

 

(2017Apr2)村上春樹 新作『騎士団長殺し』に込めた思いを語る〜毎日新聞インタビュー

  • 2017.07.03 Monday
  • 18:35

 

 こんにちは

 

文月に入りました。今朝は梅雨の晴れ間の間隙を縫ってツバメたちがあちらこちらで空虫戦?を展開していましたが、それがしは洗濯です( だいたい一日おきにやってますが、全自動!ほんと楽だぁ〜。そして(これがいいね!)雨が降りそうになってきたら直ぐに気象庁サイト(レーダーナウキャスト)で確認です。これほんと助かります。がんばれ、気象庁!

 

お元気ですか?

 

 

 

2017年4月2日?  毎日新聞

 

 

 

久しぶりですね、村上春樹へのインタビューです。コオロギさん、ありがとうございました … したっけ〜、愚図愚図してっから〜、はい、今回も少々薹が立ってしまいました、ご容赦のほど … 新作『騎士団長殺し』震災、再生への転換 と題された毎日新聞のインタビュー記事(2017Apr2?)の全文をご紹介します。興味のある方はどうぞお付き合いください。

 

尚、本文中には「核心に触れているネタバレ」が多く存在していますので、ご承知ください … 斯く言うそれがしも、びっくりするやらがっかりするやら? かなり複雑な心境なり! → そんな訳で未だに2部(メタファーの世界へいけません、二の足を踏んでいます!( いきたくない ?!  もう、ちゃぶ台返しだぁ〜 ?! )正直言って、一人称に戻ってくれたのはうれしいですが … いまは見事にフリーズしています。黄昏に飛びたったみみずくは行方知れずになってしまった! やれやれ。

 

 

 

        新作『騎士団長殺し』震災、再生への転換

 

 

 2月に長編小説『騎士団長殺し』(第1、2部、新潮社)を刊行した作家の村上春樹さんが、毎日新聞などのインタビューに応じた。新作に込めた思いや小説家の役割について聞いた。【構成・大井浩一】

 

 

          村上春樹さんに聞く

 

 複数巻にわたる大長編としては『1Q84』(2009〜10年)以来。400字詰め原稿用紙で2000枚に及ぶ。第1部が「顕れるイデア編」、第2部は「遷ろうメタファー編」と題されている。主人公は画家で、妻に突然別れを告げられた36歳の時の体験を中心として、一人称「私」で語られている。村上作品の長編では、久しぶりの一人称小説だ。

 

 「僕は最初、一人称でずっと書いてきて、少しずつ三人称に移行していった。『1Q84』を純粋な三人称で書ききったことで達成でき、もう一回、一人称に戻りたい気持ちがあった。元のフィールドに戻ってきたという感じは強かったが、ある種の主人公の成熟はあると思う」

 「騎士団長」はモーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」の登場人物に由来する。オペラの冒頭で殺されるシーンがあるが、執筆前にまず「騎士団長殺し」というタイトルが浮かんだという。「言葉の感触の奇妙さに引かれた。最初にあったのはタイトルと、(主人公が住む神奈川・)小田原の山の上というシチュエーション。画家というのは書いているうちに出てきた」

 妻と別れ、喪失感の中で描くべき絵を求める主人公が住んだ山の上の家は、友人の父親で高名な日本画家のもの。92歳の日本画家は高齢者養護施設に入っており、空き家になっていた。その屋根裏で「騎士団長殺し」と題する絵を発見した後、主人公は不可解な出来事に巻き込まれていく。

 

 また、谷間を隔てた向かい側に住む「免色」(めんしき)という変わった姓の人物から、肖像画を依頼される。免色はビジネスの成功者で54歳。広大な邸宅に一人で住む謎の人物だ。その設定は著者が愛読し、自ら翻訳も手掛けた米文学、スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』(1925年)を意識したものだ。「これは一種のオマージュ」と話した。真夜中に鈴の音を耳にした主人公はその音の元をたどるうち、井戸のような穴を見いだす。免色の協力を得て、その穴を解放すると、中には古い仏具のような鈴があった。作中でも言及されるが、これは「(江戸時代の作家)上田秋成の『春雨物語』に収められている『二世の縁』という話しをモチーフとして使った」と語る。古典というのは引用されることに価値がある。僕もいろんなものを引用するし、それが楽しい。優れた物語は入れ物としても力を持っているし、(引用は)有用なことだ」穴を解放した結果、絵の騎士団長と同じ格好をした「イデア」と名乗る不思議な存在が登場する。善と悪が複雑に絡み合う世界が繰り広げられ、血も流される。絵の中の人物たちに導かれて主人公が地下の暗闇を巡る展開もあり、従来の村上作品でおなじみの道具立てが登場するのはファンにとって楽しみだろう。

 

          一人称に戻る/新しい結論

 

 主人公はさまざまな試練を経た後、妻と再び生活を始めるが、離れている間に妻が身ごもった子供を自分の子として育てていく。物語の最後、時間は数年後の東日本大震災の直後に飛び、主人公が生き方への信念を語って終わる。喪失から再生への転換が描かれる。「僕の小説はオープンエンドというか、話しがオープンになったまま終わるというケースがほとんどだったが、今回は『閉じる感覚』が僕にも必要になってきたという気持ちがあった。最後に主人公が子供と一緒に生きていくのは、僕にとっては新しい一つの結論を示唆するものだ」

 そうした変化の背景には、一昨年秋に自ら車で福島県から宮城県にかけての沿岸を回った体験もあるという。「その経験は大きかった。再生につながっていく気持ちにも関連している。新しいものを作っていかないといけないなと。年齢的な責任感もあるのかもしれない」「東北の震災は、今の日本人のサイキ(精神)にものすごく大きい傷痕を残した事件だと思う。その時代を生きた人のサイキを書くには、(震災と)重なり合う部分がないとリアルではない」

 

 一方、「騎士団長殺し」と題する絵の背景には、ナチスのホロコーストや南京虐殺事件にまつわる歴史の傷も影を落としている。どのような著者の思いが込められているのか。

 「歴史というのは国にとっての集合的記憶だから、それを過去のものとして忘れたり、すり替えたりすることは非常に間違ったことだと思う。(歴史修正主義的な動きとは)闘っていかなくてはいけない。小説家にできることは限られているけれど、物語という形で闘っていくことは可能だ」

 

 

以上です。

 

がんばれ、村上春樹!

 

 

p.s.,

i たった今、思い出したんですが … しばらく前に、コオロギさんが話していたこと。そのむかし、作家の江藤淳が村上春樹と上田秋成はすごく似ている、同一線上にあるという感じだって言ってたよ! … そんなことをポツリと … こんど会ったときに、もっと詳しく聞いてみようと思っています。

 

ii それがし、えらそうに他人のことは言えませんが … いつの間にかこんなに?

村上春樹がいいおじさんになっていましたが、今でもフルマラソンとか走ってるんですかね?

… それにしてもいつごろ撮られたんでしょうか? 新潮社さん教えてください!

誰かぁ〜 !!! (失礼しました)

 

 

 

 

 

 

ではでは。

 

今日も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

車の運転はどうか安全第一でお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

2017年7月1日(土) それは梅雨の晴れ間にやってきた 〜 今日から文月です。

  • 2017.07.01 Saturday
  • 00:00

 

こんにちは

 

早いですね、アブラゼミ初鳴きと來ちゃいましたか!

そして、もう文(ぶん)ちゃんですか ?!

失礼しました、文月です。

はい、そろそろ梅雨明けですかねって、ちょっと早いかな?

 

 

 

  気象庁サイトより 2017Jun30

 

 

ご覧の通りに前線はちょっとまだ定位置か?ってな感じですが、それでもそれがしは年寄りなのでじっとしているのは苦手です、じれったいのであります。早いとこカラッといきましょう!

夏よ、早く来い!

 

お元気ですか?

 

 

 

イソヒヨドリ 全長25.5cm 撮影者:大橋弘一 撮影地:沖縄県宮古島市

ほぼ全国の海岸の岩場に棲む留鳥または漂鳥で、南西諸島には特に多く、北海道では夏鳥。ヒヨドリと名が付きますが、ヒヨドリの仲間ではなくヒタキ科の鳥です。雄は明るい青色と赤褐色の取り合わせが美しく、特に青い部分は他の鳥にはあまり見られないスカイブルーで、沖縄の青い海にとてもよく似合います。雄は岩角や建物の屋根など目立つところにとまり、よく通る声でさえずります(日本野鳥の会・卓上カレンダーより)。

 

 

 

壁のカレンダーには、半夏生 小暑 七夕 アブラゼミ初鳴(福岡) アブラゼミ初鳴(大阪) 海の日 土用 アブラゼミ初鳴(仙台) 大暑 アブラゼミ初鳴(横浜) 平博、七夕の星を見よう・ベガ・アルタイル・土星 アブラゼミ初鳴(函館) 消防点検 などの文字が記されています。

 

 

 

 

 

初夏の夜

 

また今年(こんねん)も夏が來て、

夜は、蒸氣で出來た白熊が、

沼をわたつてやつてくる。

━━ 色々のことがあつたんです。

色々のことをして來たものです。

嬉しいことも、あつたのですが、

回想されては、すべてがかなしい

鐵製の、軋音(あつおん)さながら

なべては夕暮迫るけはひに

幼年も、老年も、青年も壮年も、

共々に餘りに可憐な聲をばあげて、

薄暮の中で舞ふ蛾の下で

はかなくも可憐な顎(あご)をしてゐるのです。

されば今夜(こんや)六月の良夜(あたらよ)なりとはいへ、

遠いい物音が、心地よく風に逘られて來るとはいへ、

なにがなし悲しい思ひであるのは、

消えたばかしの鐵橋の響音、

大河(おおかは)の、その鐵橋の上方に、空はぼんやりと石盤色であるのです。

 

 

 

中原中也 

 

1935(昭.10)年8月 文学界

 

 

 

 

 

 

【今月の有元利夫です】

 

 

 

雲のアルルカン 22.7 × 15.8 cm 1980年

 

 

 

 

 

                                                                             

 

      雲のアルルカン 1980年

 

 

 

 

p.s.,

今回、当blg.の更新中に「6月1日付の記事全文」を誤って削除してしまいました(はい!忘れもしません、スマホを一時的に紛失した日でした … )。すべて自分のミスであります。返す返すも残念であります、そして情けない!仕方ありません!今後は気をつけますので、ここはどうかご容赦のほど。

頓首

 

 

 

ではでは。

 

今日も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

どうか、車の運転は安全第一でお願いします。

 

 

 

2017.6.12 【今日の一冊】 「有元利夫 女神たち」 (画集)です。

  • 2017.06.12 Monday
  • 19:21


こんにちは

先日(6月7日)、夕方のTVは関東甲信も梅雨入りしたと報じていました。

さてさてジメジメの毎日となりますかどうか・・・??!!

ここのところは、梅雨の中休みですかね、こちらは先日9日の夕方ですが、いろいろな雲のてんこ盛り状態でほんとにぎやかな夕空でした。

 

 

 

2017年6月9日 18時38分

 

 

お元気ですか?

 

今日は昨年の二月に購入した 有元利夫 の画集を紹介します … ここで内容を詳しくお見せできないのがほんと残念であります。

 

有元利夫を知ったのは 寺神戸 亮 のCDジャケットで数多く見かけたのが始まりです。この画集はときどき開いています … もちろん、絵もいいですが文章がすごい! 芸大4浪時代を懐かしんだりしてる … 正直な方ですね!(偉そうにすみません)そして、いつものことですがページを開いてしばらくすると、気持ちがふわ━っとしてきて少しづつ重力を失っていくような、宇宙飛行士?のようにまるで遥か雲の上を飛んでいるかのような心地になります。あっ、ちょうどこんなイメージ(ロシア上空で早朝でした)ですがどうですか? ほんと落ちつくんです … なんだか近所のかかりつけ医みたいですが。

 

 

 

ウラジオストクの北東300キロ上空12496m  対地速度937km/h  外気温度-53℃     2015Apr15

 

 

 

 

 

ここで、せめて目次だけでも・・・

 

 

 

    「有元利夫 女神たち」 

  

 

     ☆IMG_9368b☆.jpg

 

 

   画集の大きさは、タテ 33.5 × ヨコ25.5cm 

 全ページ数:144

 

 

有元利夫 女神たち 目次:

編集 松岡和子

 

 

舞う女神

 ひとりの舞台

 古典との出会い

 消す男

 様式について

 

音楽をしもべに

 音楽が漂う画面をめざして

 「覆う」ということ

 銅版画集「7つの音楽」によせて 皆川達夫

 光と影と量と線

 見ることと作ること

 浮遊すること

 バロック音楽との出会い

 いい絵、いい物

 手品の嘘、演技の嘘、そして真実

 絵の描きはじめと描きおわり

 ひとりでいるのは苦手

 

時間のいろどり

 私の卒業制作

 小さな絵のこと

 思い出すこと、憶えていること

 ●小学生のころ

 ●中学・高校のころ

 ●浪人時代

 ●芸大のころ

 ●芸大卒業後、そして今

 有元利夫の聖(サクレ)なる空間 … 前田常作

 偶像来迎 夢想有元利夫 … 米倉 守

 

夢への回廊

 風化━時間との共同作業

 思考のかけら

 配達される才能について

 道具あつめ

 絵の名前━タイトルについて

 

 文字でかいた絵●桝田弘司

  

 





【今日の一冊】


「有元利夫 女神たち」
  画: 有元利夫
  美術出版社 

  発行日: 1986年12月26日 改定増補第1刷

                2006年  4月20日 新装版第1刷

   



☆IMG_9368b☆.jpg

 

 

春 53.0 × 45.5cm  1980     (表紙) 
 

 

 


 

いま手許にあるたくさんの古楽たちに、ピタリと寄り添う有元利夫を紹介します。

 

 

J.S.バッハ Johann Sebastian Bach(1685 〜 1750)

ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集

 


☆IMG_9352 「?」 J.S.バッハヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ 寺神戸亮☆.jpg
 

啓示

 

 

 

 

 

テレマン Georg Philipp Telemann(1681 〜 1767)

無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジア(幻想曲)

 

 

☆IMG_9354 「雲のフーガ」 G.P.テレマン 無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジア 寺神戸亮☆.jpg

 

雲のフーガ

 

 

 

 

 

ビーバー Heinrich Ignaz Franz BIBER  (1644 〜 1704)

ヴァイオリン・ソナタ集

 


☆IMG_9356 「雪」 H.I.F.ビーバー ヴァイオリン・ソナタ集 寺神戸亮☆.jpg
 

 

 

 

 

 

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ

Carl Philipp Emanuel Bach(1714 〜 1788)

ヴァイオリン・ソナタ集

 


☆IMG_9358 「暁」 C.P.E.バッハ ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ 寺神戸亮☆.jpg

 

 

 

 

 

 

モーツァルト Wolfgang Amadeus MOZART (1756 〜 1791)

弦楽四重奏曲(第17番)変ロ長調K.458(狩)& K.387

 


☆IMG_9362 「春」 W.A.モーツァルト弦楽四重奏曲 クイケン四重奏団☆.jpg

 

 

 

 

 

 

コレッリ Arcangelo Corelli (1653 〜 1713)

ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集 作品5(1700)より

 


☆IMG_9364 「二本の柱の間」 A.コレッリ ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集 寺神戸☆.jpg
 

二本の柱の間

 

 

 

 

 

ハイドン Joseph Haydn (1732 〜 1809)

弦楽四重奏曲 第75番 ト長調 作品75の1, Hob.lll-75 他

 


☆IMG_9366 「音楽」 J.ハイドン 弦楽四重奏曲 クイケン四重奏団☆.jpg
 

音楽

 

 

 

 

 

ルクレール Jean-Marie Leclair (1697〜 1764)

ヴァイオリン・ソナタ集 〜 第3巻 作品5より

 

 

 

白い部屋

 

 

 

 


☆IMG_9325b☆.jpg

 

新潮社2016年版カレンダー

 

 

 

 

 

 

新潮社2017年版カレンダー

 

 

 

 

 

そして、こちらがお気に入りの一枚です!

 

 

 

 

1人の芝居 45.5 × 37.9cm 1980年

 

 

いつも、こちらを見るたびに「やぁ、いらっしゃい!」そう声を掛けられたみたいで、つい「こんにちは!」って返したくなります(新潮社2016年版カレンダーより)。

 

 

 

ではでは。

 

今日も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

雨の中で車の運転は安全第一でお願いします。

 

 

 

 

 

 

2017年5月1日(月) 今、この風に吹かれましょう! … 今日から皐月です

  • 2017.05.01 Monday
  • 05:14

 

こんにちは

 

季節はまさに風薫る五月です。

こころゆくまで、この風に吹かれましょう!

 

 

 

 

 

オオルリ 全長16.5cm 撮影者:江口欣照 撮影地:鹿児島県鹿児島郡

 日本の「青い鳥」の代表格です。青いのは雄で、頭から背にかけてや翼、尾羽などの紺色の部分が目立ち、初めて見ると誰もがその美しい輝きに感動します。東南アジアの越冬地から4月頃に日本に渡ってくる夏鳥で、九州以北の山地などの森で繁殖します。渡りの途中や渡ってきたばかりの頃には農耕地など開けた場所でも姿を見ることがあります。写真はそんなネギ畑に現れた一場面です(日本野鳥の会・卓上カレンダーより)。

 

 

 

壁のカレンダーには、八十八夜 憲法記念日 みどりの日 こどもの日 立夏 バードウィーク5/10〜16 世界渡り鳥の日5/13〜14 母の日 小満 国際生物多様性の日 などの文字が記されています。

 

 

 

 

 

【今月の有元利夫です】 

 

 

 

 

夜のカーテン 90.9 × 72.7cm 1980年

 

 

 

 

 

夜のカーテン (部分)

 

 

 

 

 

p.s.,

 

お月さん、こんばんは!

… 新月から二日後の上弦の月

 

 

小学校三年生のときからの幼なじみが・・・携帯電話をたたんで固定電話まで解約し … 音信不通です、行方知れずとなりました(その原因は分かっているのですが、勿論、ここに書くわけにはいきません)。つい半月前までは、50年ぶりに?卓球場いこうかとか温泉いこうよ!なんて話していたのに・・・なんかいきなり「人生こんなもんですよ!」 なんて言われているようで、今、すごく寂しいです。

ほんと、どこへ行ったのでありましょうか?

 

 

 

 

2017Apr28 19:00

 

 

 

ではでは。

 

 

 

 

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